2020年12月29日

今日は夕方から勤務で、明日の朝まで残業して早番と交代ですから、昼間は自分の時間があります。

なので10年以上続いている、呆れた水掛け論に応えます。

八陽火は御言葉に向き合う開示が出来ないと言ったんであって、日記ブログなら更新しようと思えば出来ます。

仕事前のプライベートな時間が台無しになりますが。

再開に当たっての開示が一通り済めば、日記ブログで窓口は開いておこうと思ってましたから、更新します。

盗賊団と無関係な方々もおられるでしょうし、巻き込まれるべきでないと思いますから、盗賊団以外の方々が不快な思いをしないよう、更新します。

一応、特定されない様に書いてるつもりですので、仮に分かった方があって聞いて来られても、お答えしませんので、第3者として静観して頂ければ幸いです。


一昨日、仲間宛てにしたメールで、長年の怒りから盗賊団への罵詈雑言を書きました。

これはその前に、仲間と電話で話した事が盗聴され(10年以上続いている)盗賊団共有に分配されてるからです。

この実行犯は渡す変わりにメンバーの弱味も保険に押さえてるはずですから、根が深い関係でしょう。

今回の開示で、新しい旨味を八陽火に見出だした?事もあり、イエスのストーカーパリサイ派の様に、なおも執着して来ているます。

10年以上続けば、八陽火もあらゆる言葉を投げ掛けて、一応聖書を知る者たちだからと、良心の輝きを取り戻すよう促してもいますし、当然ながら金銭や物での解決を迫った事もありません。

この状況こそ、裁判にむけて王が御覧になりたい事ですから。

宗教団体関係者なら分かるでしょうが、こういう水掛け論が発生した場合、聖典の言葉を引用しての攻防で、無駄な対決です。

なので盗賊団には、ニュースの説教泥棒の話をしたり、勝手に人のメールを盗み見て傷付いたとはどういう事かとか、八陽火に正面から正当にノックを試みらずに、最初から盗賊団に加わって認められたいとは如何なる事かなど、一般の人の目線でも筋の通らない内容を投げ掛けてます。

盗賊団は「傷付いた頭にきて許せない」と怒りますが、他人のメールを盗み見たり、通話を盗聴しなければ起こらない憤りで、話が支離滅裂と分かるはずです。

こちらも盗みが止められないと分かって、罵詈雑言を放ってるのですから、不愉快な言葉に触れる事になる受取人の仲間は、被害者です。

今回も盗み見て聖書の引用攻撃で、学校の教師の添削の資質を使って投げ返しをしてる者もありますから、ただただ終わらない水掛け論です。

八陽火は盗みの力を用いてノックする限り、退けます。

聖書の神の実在を報せるブログの、題名・666の獣が属する7人の王の意味名で開示してますが、八陽火は闇の権威の一つである盗みについて、肯定する事は絶対にありません。

盗賊団を担当する寝ずの番人たちは、八陽火の承認を持って王の裁判を有利にする事を狙っており、それが本質と分かっている以上、使命からも盗みの権威を肯定して、その道筋のおかげで祝福を手にした等という結果を成立させる事はあり得ません。

ですから、盗賊団には他の6教会を探せと言ってありますし、第3者から見れば一方的な実被害者だと伝わるはずです。

盗賊団に投げた言葉で、「自身の教会で人々に告白して見ろ」があります。

組織や教会での出世という野心がある以上、出来やしないと見込んでこちらも投げてますから、真に困らせられた事は一度もありません。

最もこれは教会内が、『見えない悪は正義の力だ』という価値観の人間で満ちていなければの話ですが。

盗賊団について、主から怒られた事は一度もありませんから、スタンスを変える必要性はを全く感じる事はありません。

盗見を働きながら聖書を引用する無礼も、時間の経過に委ねます。

フィラデルフィア教会宛ての手紙にあるように、忍耐が終末のキーワードですから。

幸いに盗みの権威に巻き込まれてない方々は、その場所を強く守られてください。

人は見えない心の信仰を計れず、宗教者か否かなどの判りやすい線引きで計りがちになるでしょうが、このブログの無償開示の言葉で、まずはどちらも静観して見極めようと止まって貰えれば幸いです。

2020年12月28日

今月頭に転職して、新しい仕事に四苦八苦しています。

年末も正月も仕事で、早番遅番の交代勤務対応や、盗人キリスト教徒たちのネットストーカー対応で、御言葉と向き合える望ましい状況ではありません。

怒りに満ちて聖書を開くわけには行きませんし、ましてや真理を扱うなど不敬ですから。

八陽火はルシフェルに似たキャラクターの、トランプ大統領のツイッター様な、無責任型の捨て台詞使いにはなりません。

言葉は神であり霊であり、敬意を欠くこと無く大事にすれば、主は聖霊を遣わし霊を注ぎ渡して下さいます。

言葉を霊を粗雑に扱う者には、御霊は注がれません。

ここまでの全く新しい視点だけでも、新しく古い真の聖書を開いていると体感できるはずですから、ただ待つだけでなく自らの探求心でも神の道を進んで欲しいと願います。

再開は正月明けにはと予定しており、八陽火も真理を取り扱える状態まで努力します。

主が男女に求められる崇高なテーマ

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。

人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。

主なる神が彼女を人の所へ連れて来られると、人は言った。

「ついに、これこそ私の骨の骨、私の肉の肉。

これをこそ、女と呼ぼう。

まさに、男から取られたものだから。」

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

人と妻は二人とも、恥ずかしがりはしなかった。

(創世記2章21~25行)


あばら骨は24本あります。

1本ではなく一部とあるので、もともと24本で間違いないでしょう。

それに数ある骨の中であばら骨を選ばれたのは、12使徒が持つ象徴で三体構成で四つの生き物ケルビムの翼が、左右全部で24本である為と思われます。

あばら骨の画像を見れば、それが翼をたたんだ鳥を正面から見ているようですから、イブに翼の象徴を重ねられて、創造主イエスがあばら骨を選ばれたと思われます。

翼こそ女性が聖霊である最大の象徴ですから。

そしてイブもまた、イエスの翼の方の象徴持ちという事になります。

黙示録にある様に、イエスの翼の方は12の星(星は御使いを表す)の冠を被られてますから。


ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁する事は、律法に適っているでしょうか」と言った。

イエスはお答えになった。

「あなた達は読んだ事がないのか。

創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」

そして、こうも言われた。

「それゆえ、一晩父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。

だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。

従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

すると、彼らはイエスに言った。

「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」

イエスは言われた。

「あなた達の心が頑固なので、モーセは妻を離縁する事を許したのであって、初めからそうだったわけではない。

言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯す事になる。」

弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。

イエスは言われた。

「誰もがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。

結婚できない様に生まれついた者、人から結婚できない様にされた者もいるが、天の国の為に結婚しない者もいる。

これを受け入れる事のできる人は受け入れなさい。」

(マタイ福音書19章3~12行)


人の結婚には夫婦でのセラフ又はケルブ化が、神により期待されています。

よって人には厳しい決まりとなります。

おたがいにとって、御使い候補、聖霊候補は1人だけだからです。

他者の候補者に流れて汚した者に、聖なる祝福はありません。

それは寝ずの番人候補であり、闇の聖霊候補ですから。


~私が見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。

~彼らは玉座の前、また四つの生き物と二十四人の長老たちの前で、新しい歌のたぐいを歌った。

この歌は、地上からあがなわれた十四万四千人の者たちの他は、覚える事が出来なかった。

彼らは女に触れて身を汚した事の無い者である。

彼らは童貞だからである。

(ヨハネ黙示録14章1~4行)


イエスが言われた天の国の為に結婚しない者たちです。

正式には、彼らの光の聖霊候補は地上におらず、イエスの様に天で待機している為です。

少し誤解をうむ書き方で女性は不快感を感じるでしょう。

ですが、天に妻がいるのに地上で他人の聖霊候補に手を出せば、自らも相手もその正当なパートナーも汚してしまうというのが、本当の意味ですから、現代に出現する十四万四千人は誘惑を退けなければなりません。


多くの人には厳しい報せです。

現代は婚前交渉、不倫、再婚に満ち溢れています。

天の最終的な判断は分かりませんが、今回の説明に触れて新たに罪を重ねる事の無いよう願います。


今回はここまで。

アーメン