ニュースの所々で見たのですが、終末の役者ダミアンが国連で演説してました。
七つの戦争を終わらせたと言い、エスカレーターやプロンプターの不具合など、気になる点があります。
七枝の燭台である七つの教会への宣戦布告のようですし、ラハブの娘たちの干渉も感じさせられ、メッセージ的だなと警戒感を抱かされるからです。
一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。
しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
(マルコ福音書9章30~32行)
イエスは何度となく処刑される運命に触れ、弟子たちを困惑させています。
(マルコ福音書8章31、32行)
(マルコ福音書9章12行)
(マルコ福音書10章32~34行)
また、モーセが荒れ野で旗竿に炎の蛇を掲げた印しにも触れ(ヨハネ3章14行)、イスラエル民族の契約開始時点から、イエスが退けられる運命であった事を、明らかにしています。
(民数記21章4~9行)
そしてイエスの昇天後、メシアの福音が異邦人に向かい輝く事も(ヨハネ12章20~24行)、紀元前の預言書においても既に宣告済みの儀式でした。
キリストは神の真実を現す為に、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。
それは、先祖たちに対する約束を確証される為であり、異邦人が神をその憐れみのゆえに讃えるようになる為です。
「その為、私は異邦人の中であなたを讃え、あなたの名を誉め歌おう(サムエル記下22章50行、詩編18章50行)」
と書いてある通りです。また、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ(申命記32章43行)」
と言われ、更に、
「すべての異邦人よ、主を讃えよ。
すべての民は賛美せよ(詩編117章1行)」
と言われています。
また、イザヤはこう言っています。
「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治める為に立ち上がる。
異邦人は彼に望みをかける(イザヤ書11章10行、マタイ12章17~21行)。」
(ローマ信徒への手紙15章8~12行)
主にあっては何ら意外な方針転換など起きておらず、イエスも忠実に自身の使命を果たして儀式を繋ぎ(ヨハネ10章18行)、使徒たちによって福音は異邦人に届けられました。
イエスはお答えになった。
「~私は既に世に勝っている。」
(ヨハネ福音書16章33行)
イエスを御子と信じる者にとっては、創造主で玉座の王なのだから勝っているのは始まる前から当たり前だ、という気持ちのはずです。
それでもあえて宣言された所から、イエスとの理解の一致に挑む必要性を、強く感じさせられます。
イエスはこれらの事を話してから、天を仰いで言われた。
「~世から選び出して私に与えてくださった人々に、私は御名を現しました。
彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいました。
~私は彼らによって栄光を受けました。
私は、もはや世にはいません。
彼らは世に残りますが、私は御元に参ります。
~世にいる間に、これらの事を語るのは、私の喜びが彼らの内に満ち溢れるようになる為です。
私は彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。
『私が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。』
私がお願いするのは、彼らを世から取り去る事ではなく、悪い者から守ってくださる事です。
私が世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
『真理によって彼らを聖なる者としてください。
あなたの御言葉は真理です。』
私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。
~こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛しておられたように、彼らも愛しておられた事を、世が知るようになります。~」
(ヨハネ福音書17章)
他の福音書と違い、イエスが世に対して、視点を使い分けて述べられている事が分かります。
(ヨハネ福音書3章16~19行)
(ヨハネ福音書15章18、19行)
御父の時の権威のもと、運行されているのが世ですから、御父が世を愛されたというのも、常に働かれている点からも、理解出来る明かしです 。
(ヨハネ福音書5章17行)
ですから御父の御子として、十字架刑の儀式前から「既に勝っている」と宣言されたのも、然りでしかありません。
とはいえ、イエスが戦われて勝ったという世とは何ものなのか、そこだけは漠然とした印象を受け、明確なイメージが難しく感じさせられます。
イエスと使徒たちは世に属していない部外者だから、ウイルスに対する免疫機能のように迫害されたのか、その正体に見えざる領域の関与をもって、探求してみようと思います。
彼は言葉を継いだ。
「ダニエルよ、恐れる事はない。
~ペルシアの天使長が二十一日間、私に抵抗したが、大天使長の一人ミカエルが助けに来てくれたので、私はペルシアの王たちの所にいる必要がなくなった。~」
~彼は言った。
「~今、私はペルシアの天使長と闘う為に帰る。
私が去ると直ぐギリシアの天使長が現れるだろう。
しかし、真理の書に記されている事をお前に教えよう。
お前たちの天使長ミカエルの他に、これらに対して私を助ける者はないのだ。~」
(ダニエル書10章12~21行)
国単位か民族単位かで、守護天使がいる事を伺う事が出来ます。
そしてエルサレムやバビロン、サマリヤやカファルナウムなど、都市や町単位で聖霊が在る事も、分かっています。
(エレミヤ書51章)
(マタイ福音書11章20~24行)
(マタイ福音書23章37~39行)
モーセが主と契約を結び、異邦人との交わりが禁忌とされながらも交わり、主の逆鱗に触れ事が度々ありました。
(民数記25章1~3行)
(士師記3章1~6行)
人間には過ぎたる知識で、見えざる領域の事は推察するしかありませんが、旧約聖書時代のイスラエル民族は、光側であるミカエルと対立する天使長たちの民族に囲まれ、それが交わりが禁忌の理由ではと思えてます。
それなら霊的な理由として成立し、人間視点では過剰とも感じる純血へのこだわりにも、何の不思議も覚えないからです。
また、ラハブの影響力あるエジプト行きや、バビロン支配下での捕囚についても、すべては見えざる領域の存在との駆け引きの一環ではと、思えてなりません。
そこからイエスが言われた、世という敵に対する勝利宣言ではと、感じています。
そして黙示録では、竜や大バビロンや獣といった、世で優勢な敵と相対する、七つの教会と二人の証人の苦難が預言されています。
肉の目だけが視界の人間においては、見えざる領域が関わる働きも、偶然としか処理出来ない縛りに置かれますから、目覚めて耳も開かれた者となって、救いを見出だせれば幸いです。
アーメン