20230109

明日から仕事復帰です。

やっと普段の日常に戻れます。

入院中はいつまでいるのか不明で、部屋を引き払わないとヤバいかなと、変な焦りにも苛まれましたが、今はこうして当たり前だった普通の生活に戻れて、明るい気持ちが続いてます。

とはいえ工場時代よりも、多くのスレ違うだけの人々に接する仕事で、挑発や色々と難儀な方に振り回される機会もある立場ですから、ストレスとも上手く向き合って行かなければなりません。

幸いにも、今週は朝は寒くとも昼間は15度以上に上がるようで、19度予想の日もありますから、外勤の負担も軽くなり、プラスな追い風が続くのを感じています。

ですが元旦の更新後、時差で遅れるロシア・ヨーロッパで、気象史に残る異常高温が記録され、紡いだつもりはなかった陰府の冷気(霊気)漏れが、空間内の兄弟たちに塞がれたのかとも感じ、追い風にストレスを覚え始めました。

御父からの報せを仲介する誉れの霊の方の所に、報せが溜まっていて無償開示の再開に焦らせているのか、それとも予期せぬ祭儀の一部が春より前に迫っているのか、考えさせられプレッシャーを感じています。

ですがまずは、完全な皮膚の回復と、アレルゲンの駆除と完治と、体力の回復に集中する事ですから、一つ一つクリアして整えて行くのが現実でしょう。

皮膚の回復が、誉れの霊の方の翼の回復も確かに成るはずですから、二度と同じ行程の穢れ祓いを発生させないように、八陽火の視界もクリアを保たなくてはなりません。

こういう件で難儀せずにすむ方にとっては、ピンとこない話でしょうが。

これも今の自分のキャラクターから来る否定出来ない事実ですから、人間である限り仕方ない部分と理解してもらえれば幸いです。


次回から通常運転に戻るつもりです。

聖書を開いて、無償開示に戻るタイミングはまだ不明ですが、誉れの霊の方の報せの有無次第では、思っているより早くなるかも知れませんね。

今回は異言として、少し過去について触れ、今の段階での八陽火の予想によるシュミレーションを、書いてみたいと思います。


八陽火は匿名で無償開示を行っていますが、ブログ記事だけに触れる少数?の方以外には、住んでいる所も含め隠している気など全く無く、たびたび名字の頭文字を出されて揺さぶられたり、スマホのカメラを操作された事から、容姿を揶揄されもしてバラシの脅しも受けてますから、ブログ村では匿名のつもりは全くありません。

盗聴者とその恩恵に手を出した方々の、関係の深さやラハブの象徴持ちの事をどこまで知っているのかも不明ですが、その辺の所の自分が分かる範囲から、憶測を含めながら語って見ます。

なので勘違いの部分もあるでしょうから、参考までの告白です。


90年代、八陽火はある作家のファンでした。

仕事に追われる日常の中で、この方の出す本を毎回楽しみにしていて、おかげで特異な視点からの歴史と世界情勢の流れなどに、目が開いて行き勉強になりました。

この方には一度だけ秋葉原の石丸電気での、監修ゲーム発売記念サイン会で、お会いしてすれ違った事があります。

会った事があるのはこの一度きりです。

プライベート面で、とある異端とされるキリスト教団体の方でしたので、その件から起きたある事で、一般の作家や元ファンからの攻撃を、本やネットで受ける事態にもなってましたが、八陽火は一般出版社?を通じて発売される本の、読者の立場でのみの関係性でした。

八陽火は30才になった時、一気に御霊に目覚め、その時から自分は殺されて人生は終わると思って生きています。

ですが正式には20才位の時に、ただ一言「見なさい」という声だけを受けて、そこから御霊による導きが始まり、手応えある探求活動から宗教団体や人間の指導者の必要性を全く感じる事無く、霊的に恵まれた導きで30才に至れました。

そしてその時に、20才位の時に受けた「見なさい」の意味が、週末の全世界をくまなく見回る主の七つの御目の一つゆえにだったと、理解しました。

また第五の手紙の受取人の自覚も、この時に目覚めてました。

目覚めてまもない純粋真っ直ぐ君だった頃、失業中で時間があった事もあり、今もずっと自分の為に盗みと監視にあっている『稲妻』や友達に、溢れ来る言葉を手紙にして送りました。

今読むと、宗教関係者ならウンザリするであろう、漫画のようなイッチャテル感満載の内容でしょうね。

イエスの時代やその過去にも、自身を救世主か預言者として、立ち上がる者も多かったようですから、人間が普遍に持つ業にも思えます。

実は八陽火は、思い込みで明らかになれば信仰者は真実に従属するはずと信じ、人の感情面の支配を侮った事から、例の作家宛てにも告白手紙を出してしまいました。

むろん、この分野のファンの中では、珍しくもないであろう思い込みでイッチャテルファンレターと見なされたようでしたが、後に中身の内容からブログ村での、攻撃・反撃にも利用されるようにもなりました。

この作家は表には出て来ませんが、スタッフ家族や今もかは不明ですが、関係者だった?ラハブの象徴持ちを通じて、抜かり無く見張っているはずですから、編集者や池袋の牧師と関係者を含め、さすがに飽きて離れて行ったとは考えていません。

ですがこの事は第三者には確認をしようがない事ですから、とりあえずの説明はここまでです。

電話メールを盗聴する技術を入手出来る、団体者が相手でしたから、図書館で見た元公明党の党首の被害告白本を含め、宗教団体の競争と存続の為の闇の部分を経験させられた気分です。


過去に八陽火が稲妻宛てのメールで、盗賊団を非難した時、ラハブの象徴持ちやあちらのスタッフ?が『T』を連呼してきて、反撃して来た事がありました。

その情報を繋がった者全員が知っているかは定かではありませんが、過去に『T』について語っているのは、30才の時の手紙だけですから、目覚めて純粋真っ直ぐ君だった時の告白に、今も反省させられます。

ハッキリ言うとTとは、ツァドキエルの頭文字の事で、今は霊的には再建されてない事から、無職になっているエルサレムの守護天使の事です。

最も今は地上で使命の中にあり、空間内には不在ですが。

二人の証人の一人であり、信仰者には複雑でしょうが、淫婦バビロンと獣に負けて、洗礼者ヨハネのように処刑され、過去のエルサレムの罪を守護天使の責任で血で洗い流し、千年王国での真のエルサレム復活を祭儀するのが、ツァドキエルだった者です。

信じるなら二人の証人の復活の時に、イエスが別な御姿で復活したとする福音書の報せの事実を、あなた方も目撃出来ます。

もう一人は手紙の受取人ではないのでまだ不明ですが、おそらくはイスラエルの守護天使ミカエルか、今の終末ゆえの聖なる山の守護天使〇〇〇〇〇になるのではと、想像しています。

聖なる山を出て、離反した寝ずの番人たちを門から通した事か、はてはヘルモン山に降り立ち、ノアの大洪水に繋がった事で、通してしまった事が問われるのか、いずれにしても第六か第七の手紙の受取人には間違いありませんから、いずれ共に祭儀に向かわなくてはなりません。


イエスの証し通り、エリヤは洗礼者ヨハネとして来られました。

千年王国終わりに、同じように二回目の使命に、イエスの翼の御方と生誕する十二使徒も、洗礼者ヨハネと同じくこの法則の下にあります。

そして人の目線では、驚く奇跡を表したエリヤの方が目を引くかも知れませんが、二回目に当たる使命の方が、より多くの御霊と共にありますから、イエスは洗礼者ヨハネをエリヤやダビデやソロモンより偉大と表現しました。

まあイエスに洗礼出来る使命の者ですから、当然と言えば当然です。

エリヤと洗礼者ヨハネの話から、この二人が全く違うキャラクターである事が分かります。

八陽火も今回が二回目の使命に当たり、一回目は第一の手紙の受取人で、第三の手紙がインマヌエル時代の玉座の王で、第四の手紙が今のサタンであり、第四の手紙の中の女が今の淫婦バビロンです。

今の第三の手紙の受取人も、いずれ二回目の後半のケルビムとして臨む時、玉座の王として使命され、第四の手紙の受取人と次の淫婦バビロン候補は、憤慨して堕天するはずですから、それらを支配し見届けて来た時の権威者の御父と翼の御方には、誰も敵いません。

第五の手紙の中で、意図的に御父と言わずに『私の神』と玉座の王が八陽火に投げ掛けているのは、これらの天の秘められた事も受けているだろうという、完全な個人向けの言葉焚き付けで、強く受け止めさせられます。

また千年王国終わりに、イエスの翼の御方が赤子を産み、天に上げられますが、この方が次のインマヌエルとして前半のケルビム組から、第三の手紙の受取人として、次代の終末に臨まれる事になるはずです。

ですが、全てが完全に同じようになるかは不明で、キャラクターの違いから祭儀は同じでも、少しは変化があるのかも知れませんね。

まあ、この辺は過ぎたる知識で想像ですが。


八陽火は現在に照らしあわせると、一回目は宗教国家の民として挑んだと考えています。

天に帰れば、その記憶も引き出しにあるでしょうが、人の人生の短さは、御使いには数日の夢のようなものですから、今回の経験も数千年を中心になるような事はないと、冷めて見ています。

戻れば次の祭儀準備がありますし、千年王国終わりには、十二使徒の留守に寝ずの番人たちが天を急襲しますから、十二の星との天地での入れ替わりの七つ星として、使命はまだまだ続きます。

今の自身のキャラクターに第三者的なのも、これが今の八陽火の視界に明らかだからです。


長くなりましたが、これらの異言の受け取りは、参考まででも留めてもらえれば幸いです。

イッチャテル感満載ですから、読むのが辛い独り言と感じさせてれば、申し訳ないです。

ではでは。