20230106

昨日は退院して最初の通院日でした。

神罰の再開もなく、順調に回復の一途ですから、来週からの職場復帰が決まりました。

金銭的にも良かったですが、今になってハッキリしましたが、ヘルペス陽性でやはり薬マケでしたね。

八陽火の自己管理失敗による、人工的な病状態でした。

まあ、それと第五の手紙通りの実現の一致ですから、タイミング的にもなるべくしてなった、仕える者としては情けない体験になりました。

ですが信仰のリフレッシュには、非常に重要な実現となり、新しくして頂けた気分です。


しばらくは雑談や日常の感想を続ける予定でしたが、前回の記事は朝起きたら溢れてくる言葉によるものになり、誉れの霊の方の御意志の反映だったのかなと感じてます。

そしてその記事に対してと感じる重要な部分を見ましたので、触れて起きたいと思います。

それは紡ぎに関する事です。

一日考えても、最初に浮かんだ引用部分とは別な例題が出て来なかったので、十字架上のイエスとその両側に同じように裁かれた二人で、説明します。

ここに他意は無い事は、前もって言っておきます。


イエスは聖霊を受ける前のペトロや使徒たちに、「あなた方が地上で紡ぐ事は、天上でも紡がれる」と、目が開かれた時にその権威をもって福音を報せに行く事を予告されました。

紡ぐのは遣わされた者が行う使命であり、多くの一般の方々は、遣わされた者の報せを聞いて信じ、『紡がれる』祝福を受け賜う事が目標になります。

ですから、鳥と同じように何も紡がなく自然なままに生きていても、御父は平等に大自然の運行のもと、養って下さいます。

紡ぐのは、人々に遣わされた者の使命であり、また使徒の手紙にあるように、天使たちも人々(使徒を含む)に仕えるように使命を受けているからこそ、天においても紡がれるのです。

十字架上のイエスと両側の男たちは、各福音書において認識の違う印象を受けな部分で、以前にも八陽火はイエスが選ばれた使徒を重んじ、演出で魅せて集める資質を感じる宗教団体者のようなルカのアピール力を避けて来ましたが、今回は引用して説明したいと思います。

二度目になりますが、他意はありません。

ルカ福音書では、十字架上で二人の罪人のうち、一人はイエスを否定し、一人はイエスから確か「あなたは既に天に入っている」と、祝福を受けていたと記憶しています。

これはイエス御自身による紡ぎで、以前にも言いましたが、身近でイエスに仕えている天使たちに記録された、不変の約束です。

ですから必ず天に入れる事になります。

福音書の中ででイエスは、「私はあなた方の為に私は天に帰り居場所を設ける」と約束されました。

同じように、『紡ぐ者』に『紡がれた者』も、まだ見た事も行った事もない天に、自分の家が設けられる事になり、天に入る事が初めてにも関わらず『自宅に帰る』事になります。

これが紡がれる者にとっての、重要で大きな祝福であり、『紡ぐ者』と『紡がれる者』の目的が混同してしまって、迷走してはなりません。

団体・宗派に属している方々は、組織に紡いで発展に繋げる事が、不変の使命と信じて脳が固定され、組織への忠誠心に縛られて盲目になるイメージがあります。

人間が作った霊のない組織は、団体内でも世的な資質に恵まれた者が、出世して行く印象をうけますから、必然的に霊的な導きが苦手でおろそかになり、うわべの看板だけの組織守護主体の宗教法人です。

ですがこの方が社会の一因としては分かりやすいでしょうから、一般性から離れすぎない在るべき姿とも言えるのでしょうが。

預言者が歩む神の道は、旧約聖書の多くの預言者が示す通り、世捨て人で孤独になりがちで、一般性の欠落から人々より怒りを買いやすい異端者ですから、組織の一員で祈る方々は、その視点の違いに正しく案内される必要があります。

それによる気付きがなければ、ただただ組織の上の者の顔色を伺うだけの日常となり、費やす時間に意義も意味も迷走してしまいます。

八陽火の無償開示に触れた方々の中に、ネット上で組織の者に見張られていて、素直な思いすらも行動制限された方々がいましたが、まだ見えず聞こえずの多くの方々が、個人の日常生活の中で神への思いを一人で持ち続ける事は大変ですから、難しい現実だなといつも感じてます。

ですがその中で、未来の十四万四千人だけにでなく、無償開示が見えない手助けになればと、淡い期待を持って続けているのも確かです。

第五の手紙にある「死にかけている残りの者たちを強めよ」が、どの立場の方々なのかの詳細は、ハッキリ言って八陽火にも特定出来ていないのが事実ですし、これは小羊の命の書でしか知り得ない事ですから、人間に過ぎない八陽火にはお手上げの報せです。

ですから無償開示を受け入れられる方々を、正確には八陽火は判別する事が出来ませんから、可能であれば繋がり続けて見てはと願う次第です。

無償開示の言葉の力だけで、世的には無力な弱い存在の八陽火は、団体組織のように社会的な安心感を得させる事は出来ませんが、開示に命の伊吹を感じて貰えれば、幸いです。

パウロは手紙の中で、手紙の言葉は力強いが実際に会うと期待外れに見られがちと、憤慨している記述があったはずですが、イエスの容姿が預言通りに平凡であり、集団の中で目印的な物でのアピールもしなかったように、遣わされる者は人の目線を引っかけるように来るのが、主の御心です。

ですから八陽火も平凡である事に御手を感じ、安心感を持っています。

マーブルスーパーヒーローズのようなカードを作って売った、トランプ前大統領とは、かけ離れた意識の方向性です。

元ケルブのサタンは、多くの宝石で創造され、美しさの極みだったと聖書に書かれていますから、玉座の王が対抗する価値観で挑むのは、当たり前の事です。

ですからこの視点に目覚めている者は、幸いでありこの点なおいて盲目ではありません。

進む終末にあって、この視点をお持ちの方々は、回りの世的な人々に惑わされずに守られて下さい。


以上、『紡ぐ者』と『紡がれる者』の目標についての整理から、述べて見ました。

ではでは。