20210807

私はまた、イエスの証しと神の言葉の為に、首をはねられた者たちの魂を見た。
この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。
彼らは生き返って(二人の証人から白い衣を受け取った人々)、キリストと共に千年の間統治した(光の宇宙への移動前の仕上げ)。
その他の死者(闇の権威者たち)は、千年経つまで生き返らなかった(陰府でルシフェルの王国民の仕上げ後、左右分けの裁判の為の復活)。
~千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。
その数は海の砂のように多い(滅びに至る門を通る者は多い)。
彼らは聖なる者たちの陣営と、愛された都(エルサレム)とを囲んだ。
すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。
(ヨハネ黙示録20章4~9行)


託宣。
イスラエルに対する主の言葉。
天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主は言われる。


見よ、私はエルサレムを、周囲のすべての民(ゴグとマゴグの元陰府の住人)を酔わせる杯とする(ゆえにサタンの惑わしに光の横やりはない)。
エルサレム同様、ユダにも包囲の陣が敷かれる。
その日、私はエルサレムをあらゆる民にとって重い石とする。
それを持ち上げようとする者は皆、深い傷を負う。
値のあらゆる国々が集まり、エルサレムに立ち向かう。
その日にはと主は言われる。
私は打って出て、馬(兵器)をすべてうろたえさせ、馬に乗る者(兵士)をすべて狂わせる。
私はユダの家の上に目を開いて、諸国の馬をことごとく撃ち、目を見えなくさせる。
ユダの諸族は心に言う。
「エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主のゆえに、私の力だ。」
その日、私はユダの諸族を薪で火を吹く鉢のように、麦束で燃え上がる松明のようにする(ケルブ化の祝福)。
それは左右に燃え移って、周りの民を焼き尽くす(ヨハネ黙示録20章9行)。
エルサレムは、今そこにある場所、エルサレムになおとどまり続ける(箱船エルサレムが降って来るまで)。


主はまずユダの天幕を救われる。
それはダビデの家の誉れとエルサレムの住人の誉れが、ユダに対して大きくなりすぎないようにする為である(平等・同等の兄弟)。
その日、主はエルサレムの住民の為に盾となられる。
その日、彼らの中で最も弱い者もダビデのようになり、ダビデの家は彼らにとって神のように、『彼らに先立つ主の御使いのようになる』。
その日、私はエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。
私はダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。
『彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者である私を見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ』。


~その日、ダビデの家とエルサレムの住民の為に、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。
その日が来る、と万軍の主は言われる。
私は数々の偶像の名をこの地から取り除く。
その名が再び唱えられる事は無い。
また、預言者たちをも(セラフ化・ケルブ化完了にて不要)、汚れた霊をも、私はこの地から追い払う。
(ゼカリヤ書12章1~13章2行)


千年王国終わりに関する預言部分です。
その時のダビデの家とエルサレムの住人は、イエスの三年半活動時に、福音を受け入れた者たちのようです。
イエスは義理堅く、約束を守られる方ですから、御使いたちの報告書に基づいて、一人も漏らす事無く流された御子への罪を清められます。
最も契約の民の中でも、ファリサイ派とサドカイ派はいないはずですが。


イエスの生誕前から、主の御心は明らかです。
預言にてサタンに知られても、神においては何の問題もありません。
人と御使いの間にある存在の差よりも、御使いと神の間にある差は果てしなく大きく、全く桁が違い秤そのものが意味をなさないからです。


光に善に、輝きを見い出せる者は幸いです。
アーメン