20210804

~彼ら(闇の権威者たち)を惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。
そこにはあの獣と偽預言者が(千年前から)いる。
そしてこの者ども(寝ずの番人)は昼も夜も世々限りなく責め苛まれる。
(ヨハネ黙示録20章10行)


死も陰府も火の池に投げ込まれた。
この火の池が第二の死である。
その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
(ヨハネ黙示録20章14行)


火の池には死(ルシフェル)と陰府(ラハブ)を含む闇の軍勢がいて、善悪の知識の木の実の開花に成功した闇の権威者も、ルシフェルとラハブの王国民としての永遠に入ります。


私は、都の中に神殿を見なかった。
全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。
神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
~天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を私に見せた。
川は都の中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。
そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
もはや、『呪われるものは何一つ無い』。
神と小羊の玉座が都にあって、神のしもべ達は神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。
彼らの額には、神の名が記されている。
もはや、夜は無く、ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主がしもべ達を照らし、『彼らは世々限りなく統治する』からである。
(ヨハネ黙示録21章22、23、22章1~5行)


善悪の知識の実の恩恵と、闇の祝福に到達しなかった信仰者は、エデンの園をベースにイエスが建設された天のエルサレムに、アダムとイヴの子孫として帰還します。
そこにはもはや善悪の知識の木は無く、二本の命の木があります。
また、夜もない事は寝ずの番人の不在を示し、民は幼子のような最初のアダムとイヴの純粋さで、平和に生きる事ができます。
どこにも御人好しのマヌケと見なし、くいものにする者たちはいないからです。
こうして地上での自由意思の選択が反映され、光の民はイエスの王国民として、闇の民はルシフェルの王国民として、交わる事無く永遠の世界に至ります。
共にあるのは、地上までの話です。


繰り返し八陽火は言ってますが、真にひも解いた聖書の中身は、宗教利用には全く向いていません。
御霊無しの預言者の成りそこないが、曲解して教義化したものこそ宗教であり、そこに光の同意を得られる真の神の道はありません。


ソロモンは答えた。
「~私は取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
 しもべはあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数える事も調べる事もできないほどです。
『どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断する事が出来るように、このしもべに聞き分ける心を御与えください』。~」
主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
神はこう言われた。
「あなたは自分の為に長寿を求めず、富を求めず、また敵の命を求める事なく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
 見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。~」
(列王記上3章6~15行)


「~あなたがたの内、誰が、思い悩んだからといって、寿命を延ばす事ができようか。
 なぜ、衣服の事で思い悩むのか。
 野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
 働きもせず、紡ぎもしない(エデンの園の住人のように)。
 しかし、言っておく。
 栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。~」
(マタイ福音書6章27~29行)


ソロモンは新たに善悪の知識の実を得て、栄華を築きました。
善悪の知識の実そのものを、悪と決め付けるのではなく、誘惑の試練に如何に臨めるかで、善を極める事も可能です。
善を固く強く育て、悪に鈍く退ける者と成りましょう。
アーメン