祈りながらの開示

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。

その時、天がイエスに向かって開いた。

イエスは神の霊(御父の翼の方)が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

その時、「これは私の愛する子、私の心に適う者」という声が、天から聞こえた。

(マタイ福音書3章16、17行)


洗礼で浄めた後、イエスは御父の翼の方から火の洗礼を受けられ、「愛する子」と祝福されました。


~ヨハネは証した。

「私は霊が鳩の様に天から降って、この方の上にとどまるのを見た。

私はこの方を知らなかった。

しかし、水で洗礼を授ける為に私を御遣わしになった方が、『霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が聖霊によって洗礼を授ける人である』と私に言われた。

私はそれを見た。

だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

(ヨハネ福音書1章32~34行)


イエスもヨハネも、御父の翼の方であり唯一神とも言われる聖霊の后が、鳩の様に降られたと表されています。

聖霊が翼を持つ方である最初の報せです。

この方は聖母マリアではありません。

聖母マリアは宗教が勧誘から歴史の中で作り出した人口神であり、偶像が血を流す奇跡はラハブが起こしたものと見ています。


~7つの鉢を持つ7人の天使の一人が来て、私に語りかけた。

「~多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。~」

~私は、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。

~その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。

私は、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。

(ヨハネ黙示録17章)


古代から十戒でも禁じられている偶像崇拝は危険です。

ラハブやルシフェルの美学で、光はお応えになる事なく遠ざけられ、代わりに闇の者たちの龍の死者の書の名簿作りに利用されます。

偶像という対象を経て、実感を得たい気持ちは分かりますが、どれだけ純粋な気持ちであろうと、天が応えられる事はありません。


~主の言葉がエリヤに臨んだ。

「立ってシドンのサプレタに行き、そこに住め。

私は一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」

~エリヤは子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。

「主よ、我が神よ、この子の命を元に返して下さい。」

主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。

子供は生き返った。

エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡し、「見なさい、あなたの息子は生きている」と言った。

女はエリヤに言った。

「今私は分かりました。

あなたはまことに神の人です。

あなたの口にある主の言葉は真実です。」

(列王記上17章)


この婦人は御父の翼の方の象徴持ちです。

聖書においては他にもルツの義理母ナオミや、イエスの器の母マリアに確認できています。

ですからエリヤが復活させた子供は、イエスの復活の予兆であり、洗礼者ヨハネでもあるエリヤが、イエスから歴史上でも最大の預言者と言われる理由が分かるはずです。

人間目線ですと、モーセやダビデやソロモンに人気が集まるでしょうが、主の目線は違うという事です。


聖書に象徴持ちの報せがあったので開示しましたが、恐れ多いテーマで悩まされました。

御父とその翼の方を、人間が認識して良いのかと。

イエス御自身が福音書で言われている様に、御子も天使も及ばない時間に関する権威を御持ちの方々で、まさに神ですから。

敬意を欠くことの無いよう、強く願います。

今回はここまで。

アーメン