セラフとケルブの違いは夫婦での主体性チェンジだけ
私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。
衣の裾は神殿いっぱいにひろがっていた。
上の方にはセラフィムがいて、それぞれ6つの翼を持ち、2つをもって顔を覆い、2つをもって足を覆い、2つをもって飛び交っていた。
彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
~セラフィムの一人が、私の所に飛んで来た。
その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
(イザヤ書6章)
セラフィム(三体構成ゆえの複数系)は王の上空すら飛べます。
それは単体(セラフ)で見た時、翼ある天使とは聖霊と御使いの夫婦であり、より妻である聖霊が働いている時に、王の頭上すら飛ぶ事が出来ます。
イザヤはセラフィムを彼らと呼び、聖霊については翼しか確認出来てませんが、それは御使いたちの領域においても、聖霊は光の存在としてしか認知出来ず、御使いにおいても聖霊は人間と同じ様に、頭上から下られて一体となるからです。
よって上空は聖霊の場所であり、翼を広げてる時は、王に使えるセラフィムでも王の頭上を飛ぶ事が出来るのです。
そしてセラフが翼を休めて降り立ち、王の玉座を運ぶ男の御使いの力仕事をする時が、ケルブと呼ばれる存在として使い分けされています。
玉座の中央とその周りに4つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
~この4つの生き物には、それぞれ6つの翼があり(降り立ってケルビムとなったセラフィム)、その周りにも内側にも目があった。
彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
(ヨハネ黙示録4章6~8行)
飛んでいる時がセラフィムで、降り立っている時がケルビムです。
どちらも三体構成の為に、聖なるという言葉を三回繰り返して表しています。
そしてこれがイエスがぺトロ、ヤコブ、ヨハネの3人に示した、三体構成の意味です。
~イエスは、ぺトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽の様に輝き、服は光のように白くなった。
見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
(マタイ福音書17章1~3行)
イエスはぺトロたち3人に、セラフィムと成れと、霊的メッセージを示されました。
そして先の黙示録に4つの生き物が出て来ますが、それぞれが6つの翼を持っているという事は、1体が三体構成ですから、12体のケルブが玉座の周りに在るという事がわかります。
これがぺトロたち12使徒が象徴として持つ意味で、3人としてはセラフィムでも、12人としてはケルビムグループであるという事です。
それは地上に降り立ち生誕している事からも、ケルブ色が鮮明という事でもあります。
イエスが遂に預言通り生誕され、復活して去られてから、聖霊色が強いセラフィムのぺトロたちの時間より、聖霊降臨の伝道が始まりました。
人類にとっては初めての体験のスタートです。
ヨハネ黙示録12章1行にある通り、イエスの翼の方は12の星の冠(星は天使の象徴)をかぶって、ぺトロたちと共にあります。
黙示録のこの預言は千年王国の終わりの事ですが、イエスの翼の方と12使徒たちは、常に共に仕事する事が決まっているのかも知れません。
それなら最後の使徒が失われてからの、聖霊降臨停止?も不思議ではありませんから。
ヨハネ黙示録12章には、千年の投獄から解放されたルシフェルが、寝ずの番人と共に天を襲い、ミカエルに撃ち落とされる預言があります。
そして残りの時間が無い事を知って、ぺトロたちと共に生誕されたイエスの翼の方を襲いに向かいます。
イエスの聖霊を奪ってしまえば、玉座から引きずり降ろして、大逆転に転じられるという判断でしょう。
ですが、祭儀を終えたイエスの翼の方は、あらたな大いなる鷲の翼を御父とその翼の方より与えられ、護られる事になり光が勝ちます。
天を、安易に言葉足らずと非難する間違いを犯さないよう、願います。
今回はここまで。
アーメン
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