20210605

今週は週初めに鼻炎になった事もあり、体調管理が大変でした。
合併症で軽い喘息も出ましたから、こういう時の工場の肉体労働は、負担が大きいです。
何とか休まず五日間もちましたが、取れない腰痛と先週より快適な気温に、休息モードの一日でした。


聖書の中の神とシオンの娘たちのやりとりに、御使いと寝ずの番人だけでなく、聖霊も神の試しの対象なのだなと実感してます。
地上は御使いと寝ずの番人、及び光の聖霊・闇の聖霊の試し場であり、人間はその為の素材であるという事が、結果的にも感じてます。
それならば人間は、空間内の存在に気付くべきでなく、多くの人が潜在的に認識しようとしないのも、仕方ない御心と思えます。
聖書の中の暗示には、人間向けでないメッセージもありますから、その内容から空間内の者たちも、多くが自身が試されてると自覚なく、任務に従事していると結論できます。
空間内に、なぜ寝ずの番人・闇の聖霊が野放しなのか、真の優先順位が見えれば、不思議に見える歴史の成立にも、闇の者が神に退けられて火の池に入れられる為と分かります。
そして人間の肉の器の、脳の設計によるアドレナリン・ドーパミン等による心の選択の支配力の強力さに、わずかな自由意思しか持てない人間の現実に嫌でも合致してしまいます。
この状況を打破するには、空間内の者も人間も共に目を覚ましている事が大事であり、光の信仰者は御使いと聖霊との間に、強い信頼関係を築かなくてはなりません。


「私に向かって、『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。
 私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。
 かの日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡を行ったではありませんか』と言うであろう。
 その時、私はきっぱりとこう言おう。
 『あなた達の事は全然知らない。
  不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」
(マタイ福音書7章21〜23行)


イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取り付かれた者が二人(レギオンが集う暗示?)、墓場から出てイエスの所にやって来た。
二人は非常に狂暴で、誰もその辺りの道を通れないほどであった。
突然、彼らは叫んだ。
「神の子、かまわないでくれ(イエスが御子である告白)。
 まだその時(右と左に別ける裁判)ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
はるかかなたで多くの豚の群れが餌をあさっていた。
そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ(イエスの創造主の権威)」と願った。
イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。
すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
(マタイ福音書8章28〜32行)


「〜はっきり言っておく。
 およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。
 しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
 彼が活動し始めた時から今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている(闇の権威者の選択する道)。〜」
(マタイ福音書11章11〜13行)


主と御使いと光の聖霊に繋がる者は幸いです。
アーメン