天は霊量、地は肉量

八陽火です。


「もし、私が自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。

私について証しをなさる方は別におられる。

そして、その方(聖霊)が私についてなさる証しは真実である(真理の霊)である事を、私は知っている。

あなた達はヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。

私は、人間による証しは受けない。

しかし、あなた達が救われる為に、これらの事を言っておく。

ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。

(ヨハネ福音書53135)


前回の探求より続けると、真理について証しをするともし火ヨハネに、人間ながら聖霊の写しを見る事ができます。

ですが彼は男であり、聖霊ではなく御使いに成る魂の者です。

天における聖霊の仕事を、なぜ光の聖霊候補が果たさず、御使いの者が行ってるのか、ここにも見えない法則を感じます。

というのも八陽火は、2年前に翼の方々について知らされた時、光の聖霊候補の道は光の聖霊の印し持ち(人間の女)が果たすべきではと、報せに戸惑いを覚えたからです。

ですが前回の探求で、聖霊か天ではモーセのような預言者の使命にあたっていると分かり、役割りが天と地で逆転してるのではと、思えてきました。

イエスは命を与えるのは霊であり、肉は何の役にも立たないと言われてます。

ですが地上は肉の力の世界で、長く男が体力で時代を決定してきました。

現代で女性解放運動が起きてますが、スポーツの世界で見られる様に、物理的な男女差は、今後も埋まらないでしょう。

長い歴史を見ると、男に追従するしかない不遇の歴史で、八陽火もこの茨の道の対価は何だろう?と不思議で分からず、スルーしていました。

ですが今月の探求で、イエスが言われた「聖霊には逆らうな」(マタイ福音書12章32行)の本質が、ようやく見えてきた感じです。

恐らく、天は霊の世界の為に、霊量に始めから恵まれた聖霊は、地上とは男女の立場が逆転し、聖霊主導の世界だろうと思えて来たからです。

ゆえに光の聖霊候補は、御使い候補より厳しい茨の道を歩く定めとなり、地上では逆転現象を起こされていると、感じてます。

そうなれば、決して地上では霊量での判断は反映されず、天に上がった後でしか、この不平等の対価は受け取れないという事です。

そして、この逆転を最も示しているのが、先に生誕したイエスと、後に生誕するイエスの翼の方の、先の者が後になり後の者が先になるの必然的な順番です。

この数か月の開示では、聖霊主体のセラフ(夫婦一体)は、玉座の王の頭上すら飛んで賛美し、御使い主体の翼をたたむセラフはケルブとなり、玉座を運ぶ戦車として力仕事に従事ると表しました。

霊的には聖霊の方が御使いより格が上なら、イエスの警告の本質が、見えたと思えます。


次回も、もう少し探求してみようと思っています。

「~私はアルファであり、オメガである。

最初の者にして、最後の者。

初めであり、終わりである。

命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れる様に、自分の衣を清める者は幸いである。~」

(ヨハネ黙示録22章13、14行)