闇の権威を退け真に光に向かう方々の為の無償開示
「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われる。
「私のもとに立ち帰れ。
呪うべきものを私の前から捨て去れ。
そうすれば、再び迷い出る事は無い(モーセの時の流浪の民時代)。」
もし、あなた(イエス)が真実と公平と正義をもって「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。
(エレミヤ書4章1、2行)
エレミヤ書4章は、主が幻視で未来のイエスの三年半活動を御覧になられての、御言葉となっています。
誠に、主はユダの人、エルサレムの人に向かって、こう言われる。
「あなた達の耕作地を開拓せよ(イエスと十二使徒に対し)。
茨の中に種を蒔くな。
ユダの人、エルサレムに住む人々よ。
割礼を受けて主のものとなり、あなた達の心の包皮を取り去れ。
さもなければ、あなた達の悪行のゆえに、私の怒りは火の様に発して燃え広がり、消す者は無いであろう。」
(エレミヤ書4章3、4行)
福音の種蒔きにおいて、当時の宗教宗派を認めず、開拓せよと述べられておられ、神殿祭司たちの伝統を退けておられます。
ユダに知らせよ、エルサレムに告げて言え。
国中に角笛を吹き鳴らし、大声で叫べ、そして言え。
「集まって、城塞に逃れよう(嘆きの壁)。
シオンに向かって旗(旗竿の青銅の蛇=十字架刑)を揚げよ。
避難せよ、足を止めるな。」と。
私は北から災い(ローマ軍の遠征部隊)を、大いなる破壊をもたらす(
離散)。
~それゆえに、粗布をまとい、嘆き、泣き叫べ。
主の激しい怒り(イエスの処刑に対する)は我々を去らない。
その日が来れば(まだ先の未来の為)、と主は言われる。
王も高官も勇気を失い、祭司は心挫け、預言者は怯み言うであろう。
「ああ、主なる神よ。
まことに、あなたはこの民とエルサレムを欺かれました(御子イエスを退けた為と自覚無し)。
『あなた達に平和が訪れる』と約束されたのに、剣が喉元に突き付けられています。」
その時には、この民とエルサレムに告げられる。
「荒れ野から裸の山々の熱風が、我が民の娘(乙女シオン=エルサレム)に向かって吹き付ける。
ふるい分ける風でも、清める風でもない。
それにまさる激しい風が、私のもとから吹き付ける(御使いの風にまさる主の風)。
今や私は彼らに裁きを下す。」
見よ、それは雲の様に攻め上る。
その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い(ローマ軍)。
ああ、災いだ、我々は荒らし尽くされる。
エルサレムよ、あなたの心の悪を洗い去って救われよ(まだ実現していない為の警告)。
いつまで、あなたはその胸に、邪な思いを宿しているのか。
『聞け、災いをダンから告げ、エフライムの山から報せる声を。』
(エレミヤ書4章5~15行)
イスラエルで最北端に地を構えたのが、ダン族でした。
過去記事でも開示してますが、イエスは肉の器においてはユダ族でも、霊においてはダン族です。
ゆえに蛇のまむしの象徴を持つダン族(創世記49章17行)は、本来はネフシュタンの青銅の蛇に支える祭司ですから(申命記32章22行)、北からの災いを主の御告げとして告げるという事です。
その意味では、十二使徒も霊においてはダン族であり、預言にそって終わりの時と反キリストを訴えた事になります。
諸国の民にこれを告げ(異邦人への種蒔き)、エルサレムに知らせよ。
「包囲する者が遠い国から押し寄せ(ローマ)、ユダの町に向かって戦いの喚声を上げ、畑の見張りの様に、彼らを包囲する。
ユダが私に背いたからだ」と主は言われる。
あなたの道、あなたの仕業がこれらの事をもたらす。
これはあなたの犯した悪であり、まことに苦く、そして心臓にまで達する。
私のはらわたよ、はらわたよ。
私はもだえる。
心臓の壁よ、私の心臓は呻く。
私は黙してはいられない。
(エレミヤ書4章16~19行)
先の未来を幻視で御覧になり、イエスの十字架刑と、その報いに対しての心情を、述べておられます。
~誠に、私の民は無知だ。
私を知ろうとせず、愚かな子らで、分別が無い。
悪を行う事にさとく、善を行う事を知らない。
私は見た。
見よ、大地は混沌とし、空には光が無かった(マタイ福音書27章45行)。
私は見た。
見よ、山は揺れ動き、すべての丘は震えていた(マタイ福音書27章51行)。
主においては、イエスの十字架刑を目撃中の言葉です。
私は見た。
見よ、人は失せ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。
私は見た。
見よ、実り豊かな地は、荒れ野に変わり、町々はことごとく、主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されていた。
(エレミヤ書4章25、26行)
こちらはローマ軍に荒廃させられ、再び離散したイスラエルの情景に対する感想です。
まことに、主はこう言われる。
「大地はすべて荒れ果てる。
しかし、私は滅ぼし尽くしはしない。
それゆえ、地は喪に服し(イエスの十字架刑)、上なる天は嘆く。
私は定めた事を告げ、決して後悔せず、決してこれを変えない。」
(エレミヤ書4章27、28行)
人間においては沈黙されてる主の、イエスの十字架刑の時の心情と、ローマ軍に滅ぼされるイスラエルの時の心情を、開示しました。
沈黙に侮りが心に沸き上がらない様、願いたいものです。
エフライムの山から報せる声は、十二使徒からイスカリオテのユダが脱落した様に、十二氏族からはエフライムが脱落する為の警告です。
過去記事でも触れてますが、ヨハネ黙示録7章の、十四万四千人の氏族名で、エフライムがヨセフに変更されてるのは、脱落が原因となるからです。
また、レビ族が入りダン族が含まれないのは、十四万四千人が霊において数えられてる為であり、実際の肉の器の種類は無関係だからです。
人が知るレビ族が抜け、ダン族が入る十二氏族は、肉の器で数えられ場合であり、こちらは重要視されません。
エフライムは豊かな恵みを受けます(申命記33章13~)。
ゆえにエフライムの家である日本は、終末に経済大国まで成り上がりましたが、それは滅びの暗示となってます。
それが終末の二匹の獣の内、偽預言者が日本人から現れるで実現に向かいます。
ゆえに八陽火は、ダンから告げる声を始め続けています。
さて、ヨハネの証しはこうである。
エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させた時、彼は公言して隠さず、「私はメシアではない」と言い表した。
~そこで、彼らは言った。
「それではいったい、誰なのです。
私たちを遣わした人々に返事をしなければなりません。
あなたは自分を何だと言うのですか。」
ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「私は荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道を真っ直ぐにせよ』と。」
(ヨハネ福音書1章19~23行)
第七のラッパの後、王は四十日だけ地上にお戻りになられます。
ダンから告げる声は、無償開示をもって主の道を真っ直ぐにに努めます。
アーメン
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