無償開示と盗賊団との戦いで2コイニクス

イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種(誤った教え)によく注意しなさい」と言われた。

弟子たちは「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。

イエスはそれに気づいて言われた。

「信仰の薄い者たちよ、なぜパンを持っていない事で論じあっているのか。

パン五つを五千人に分けた時、残りを幾籠に集めたか。

また、パン七つを四千人に分けた時は、残りを幾籠に集めたか。

パンについて言った事ではない事が、どうして分からないのか。

ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさい。」

その時ようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種の事でなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の(誤った)教えの事だと悟った。

(マタイ福音書16章6~12行)


十二使徒の最後の一人が地上を去った後の教えには、聖霊が介在していません。

宗教宗派の違いで線引きするのではなく、聖霊を受けるに繋がる本物の教え以外には、注意が必要というのが、イエスの真意です。

幾籠に集めたかとイエスが聞かれている通り、パンを数千人に分けた奇跡よりも、何籠になったかに重要性があります。

十二籠と七籠であり、十二籠が十二使徒の教会、七籠が終末の七つの教会です。

十二教会と七教会の正当な教えを、耳ある者が聞き集められ、イエスの命のパンを食べる事になるので、食べた印しが籠の中の裂かれた残りのパン屑なのです。


右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣(慈悲の刃、裁きの刃)が出て、顔は強く輝く太陽のようであった。

(ヨハネ黙示録1章16行)


ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。

『鋭い両刃の剣を持っている方が、継ぎのように言われる。~』

(ヨハネ黙示録2章12行)


両刃の剣の内、慈悲の刃の象徴を持っているのが、十二使徒たちの十二教会で、裁きの刃の象徴を持っているのが、終末の七つの教会です。

ですからその象徴ゆえに、多くの宗教徒を生み出すに至った十二使徒たちの活動は、心温かい行いでした。

ですが手紙にある通り、彼らは当時を世の終わりと信じて、本物のレベルではない反キリストたちを見誤っています。

本物の闇の獣が出現する時間は、裁きの刃の七つの教会が担当ですから、十二使徒たちの時代に七つの教会の象徴を表したステファノ達のように、誤った教えとも戦う行いに殉じなければなりません。

それが『無償開示』という行いの一つです。

また、八陽火自身の戦いとして、闇の燭台の第五番目、『盗み教会』との戦いも行わなくてはなりません。

かつてイエスが空間内のサタンの誘惑、イスカリオテのユダのサタン入りと戦われた様に、八陽火も空間内の盗み教会の寝ずの番人と、戦う行いに殉じています。

自覚なく取り込まれた手駒との戦いは、十年以上の行いとなり、ゆえに八陽火の前進は祝福され止まる事はありませんでした。

七つの教会の象徴通りの、闇の権威と戦う行いですから、光の一族としての末端の使命に、誇り高い歩みと思い起こせます。

クリスチャン盗賊団は、八陽火の成長の糧になってるつもりは全く無かったはずですが、光の為に忍耐し闇の権威に怯む事なく訴え続けた事は、輝き増し続ける無償開示の内容が証明する通りですから、今後も闇の権威者との戦いは行い続けます。

これが十年以上の八陽火の成長の対価として、正しく成立してますから、ブレる必要など感じるはずもありません。

王が八陽火に求める、受けた量と仕事量が見合わないに盗賊団が光明を見出だす気持ちは分かりますが、闇に繋がっての言葉では御使いたちは退けますから、意味の無い堂々巡りです。

ですから何年も前に、スタート地点に立てる様に清算に向かうべきと、訴えたのですから。

何百回となく盗賊団には退けられ続けましたが。


小羊が第三の封印を開いた時、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、私は聞いた。

そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。

私は四つの生き物の間から出る声の様なものが、こう言うのを聞いた。

「小麦は1コイニクスで1デナリオン、大麦は3コイニクスで1デナリオン。

オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」

(ヨハネ黙示録6章5、6行)


光の信仰者は神の秤で量られます。

小麦はしもべであり、ぶどう酒も同じです。

大麦は遣いであり、オリーブ油も同じです。

しもべと遣いでは1デナリオン対価が、当然ながら違っています。

八陽火も無償開示と闇の権威との戦いで、2コイニクスは出来ていますが、あと1コイニクス足りて無い状況で、挑戦はまだまだ続きますから、真の光の信仰者も正当な1コイニクスに目覚めて目指して、共に歩んで行きたいものです。


この神の秤に基づいて、八陽火と盗賊団を量るなら、八陽火はこれまで盗まれた言葉の回数分、又は退けられた開示の分、盗賊団をスルーする事ができ、主に怒られる事はありません。

八陽火は今後も闇の権威と戦い続け、盗賊団には誉れを渡したりはしません。

それが盗み教会の寝ずの番人の真の狙いですから、赦す赦さないではなく盗賊団は退け続けます。

経緯の過程で盗んだお陰で誉れを得ましたの成立を、望んではならないと目覚めてほしいと盗賊団には願います。

八陽火自身は盗賊団の件は、盗み教会の寝ずの番人との対価成立で十分という判断です。

理由は秤における盗み権威者への支払い清算に悩まされるからで、八陽火自身が自己破産でバックレられる様に導いて助けなければと、闇に対し闇のスタイルでの駆け引きで応じ染まる事は出来ないからです。


~イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。

すると、弟子たちが側に寄って来て、「畑の毒麦の例えを説明して下さい」と言った。

イエスはお答えになった。

「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界(創造主の地球教会)、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりの事で、刈り入れる者は天使たちである(空間内の御使いと生誕した七つの教会の者たち)。

だから、毒麦が集められて火で焼かれる様に、世の終わりにもそうなるのだ。

人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなる者すべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。

彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

その時、正しい人々はその父の国()(夜の無い光の宇宙、ヨハネ黙示録21章23行)で太陽の様に輝く。

耳のある者は聞きなさい。」

(マタイ福音書13章36~43行)


玉座の王は、王の立場を受けられた時に、光らしくない使命も果たさなければならない事は、重々承知されてました。

ゆえに御使いたちは支える事が出来るのです。

王の負担軽減に御使いたちも、光らしくない使命に殉じます。

楽しくない使命も果たす事で過ぎ去る地上との決別となり、次の異なる世界へと道が繋がります。

右と左の裁判で、失う民は支払いとなる対価ですから、玉座の王は判決を下して使命を果たし、箱船エルサレムで光の宇宙へと右の者たちを運び、創造主としての地上での使命を終わらせられます。


慈悲の刃である十二使徒たちに憧れるのは、個人の自由です。

その仕事だけが良いと好むのも分かります。

ですが個人の都合で、七つの教会の使命仕事を邪魔するのは祝福されません。

十年以上の八陽火とクリスチャン盗賊団の結果を直視して分析しなければ、約二千年の間に聖霊にたどり着かずに人生を終えた、宗教徒たちと何ら変わらない人生となるでしょう。

サタンの様に優先順位が、自己満足が1位なら別ですが。


アーメン