新しい名前こそ魂の真の名前であり永遠の名

「~勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。

その小石には、これを受ける者の他には、誰にも分からぬ新しい名が記されている。」

(ヨハネ黙示録2章17行)


「~見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人(光の信仰者)であると言う者たちには、こうしよう。

彼らはユダヤ人(光の信仰者)ではなく偽っているのだ。

見よ、彼らがあなたの足下に来てひれ伏す様にし、私があなたを愛している事を彼らに知らせよう。

あなたは忍耐についての私の言葉を守った(盗賊団に関する事では八陽火は証明済み)。

それゆえ、地上に住む人々を試す為、全世界に来ようとしている試練の時にわわたしもあなたを守ろう。

私は、すぐに来る。

あなたの栄冠を(寝ずの番人)誰にも奪われない様に、持っているものを固く守りなさい。

勝利を得る者を、私の髪の毛神殿の柱にしよう。

彼はもう決して外へ出る(地上への生誕)事はない。

私はその者の上に、私の神の名と、私の神の都、すなわち、神のもとから出て天から降って来る新しいエルサレムの名、そして、私の新しい名を書き記そう。~」

(ヨハネ黙示録3章9~12行)


地上の人々には、それぞれ名前があります。

ですが主は新しい名前を光の信仰者に与え、自身についても新しい名前を表すとされています。

私たちは人間同士で互いの存在を認識出来ます。

御使いや寝ずの番人は、霊の存在も肉の存在も認識できますが、人間は地上の存在しか分かりません。

ですから、主から御覧になっての目線について、例えて見ます。

まず、多くの人々は自由に泳ぎ回る精子の様なものです。

その中で聖霊を受けるに至った者が主には胎児に見え、母のお腹の子に話しかける様に、主はお声をかけて下さいます。

外界から閉ざされた宇宙の様な、母のお腹というかりそめの世界の住人が、人間です。

つまり主には、人間はまだ真の実在者とは見えていません。

ですから光の宇宙に至った時が、誕生日となり初めて永遠の真の名前が祝福として貰え、主の御顔も真の名前も知る事が許されます。

私たちはまだ、かりそめの存在であり、それは御使いや寝ずの番人も同じなのです。

光の宇宙に誕生しない限りは。

そこに至って、やっと真の人生の歩みが始まるのであって、まだ私たちは不安定な存在でしかなく、ゆえに主の御顔もお声も聞く事が出来ないのです。

ですから聖霊を受けるに至り胎児となって、誕生に供えなければなりません。

そうすれば主は心待ちにして、「待ってるから元気に出ておいで」とお声を聞かせて頂けるのです。


漏出のある人が、それが止んで清くなったならば、清めの期間として七日間(地上の七千年)を経た後、衣服を水洗いし、新鮮な水で身を洗うと、清くなる。

八日目(光の宇宙生誕)に、彼は二羽の山鳩か家鳩を整え、臨在の幕屋の入り口で、主の御前に出て、それを祭司に渡す。

(レビ記15章)


レビ記15章には、漏出に関する御言葉があり、いずれも七日間の汚れと八日目の汚れ明けが証されています。

地上の七千年期間は、真っ直ぐ進行する光の性質の主にとって、この私たちの宇宙との関わりは、リスクを侵しながらの御仕事となります。

それでも光の宇宙に生誕して欲しいと待っておられるから、地上との関わりを絶たれたりはされないのです。


あなた達はイスラエルの人々を戒めて汚れを受けない様にし、あなた達の中にある私の住まいに彼らの汚れを持ち込んで、死(サタン)を招かない様にしなさい。

(レビ記15章31行)


都合の良い闇の権威からは、離れなければなりません。

上位存在の対価要求に、人間が敵うはずもないのですから。


アーメン