20221110

アメリカの中間選挙、前評判とは違い拮抗しているようです。

共和党の赤い波は来なかったようですが、それでも来週にはトランプ前大統領が、立候補を表明するのか注目です。

それにしてもたった二年で、少し頬痩けしてしていて、老人を感じたのが意外でした。

それでも出馬すれば、これから来る食料問題や水不足や戦争や災害などの試練の時ですから、多くの人の不平不満の受け皿になる追い風が吹きそうで、第六時間の到来を予感せずにはいられません。


弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持ってくるのを忘れていた。

イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。

弟子たちは、「これはパンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。

イエスはそれに気づいて言われた。

「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていない事で論じ合っているのか。

まだ、分からないのか。

覚えていないのか。

『パン五つを五千人に分けた時、残りを幾籠に集めたか。

また、パン七つを四千人に分けた時は、残りを幾籠に集めたか。』

パンについて言ったのではない事が、どうして分からないのか。

ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさい。」

その時ようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種の事ではなく、ファリサイ派とサドカイ派の教えの事だと悟った。

(マタイ福音書16章5~12行)


イエスは貴重な三年半期間の活動を、宗教改革には使わず、無学な者たちであるペトロたちへの、家庭教師的時間に使われました。

羊のなめし革に書かれた聖書は、誰もがいつでも読める時代ではありませんでしたから、三年半期間をスピーディーに有効活用し、大きな土台を作って遺すなら、宗教改革の方が効果が早かったはずです。

ですがイエスは、聖書を聖典とする別な者たちを、始めから退けられました。

良心の輝きの有無を確認する事なくです。

そして漁師だった素人のペトロを弟子として取られ、十二教会の土台作りを始められました。

その際イエスは、都合の良い人造教義が入り込まないよう、ファリサイ派とサドカイ派のパン種への警戒を、警告されました。

真理の霊である聖霊の介在無い教えは、脳から出た人の教えで、それは地で紡がれても天では紡がれません(マタイ福音書18章18行)から、人が持つ自由の産物であり、人の体と同じく朽ち果てる文化です。

永遠の真理とは、全く異なります。


人が持つ自由のゆえに、イスラエル人は何度となく主を裏切った事が、旧約聖書には記されています。

主は人の信仰を強制管理されず、自由による結果の成立まで見届けられます。

人にとっては、そこまで自由意思を尊重される事に、失望と憤りを覚える者もあるかもしれません。

ですが人間だけでなく、空間内の見張りの者たちの自由結果も見届けられてるのですから、彼らの仕事を奪うような介入は、難しいのが現実です。

終わりの日に裁かれるのは、人間だけではありませんから。


月食と天王星食が話題になりましたが、人がいないそれらの星には見張りの者もおらず、四方の風を司る天使(ヨハネ黙示録7章1行)も、雷を司る天使も、雨を司る天使も、またその他の生命の為の運行を司る天使たちもいません。

それが地球のような、特別な環境の星が成立している秘密であり、野ざらしの多くの星たちとの決定的な違いです。

人もおらず、生命の息吹き無い星で、ポツンと働く天使はありませんから、恵まれた現代人ならではの視点で、考えた事もない当たり前への感謝を見つけましょう。

そして人間たちも、空間内の者たちも、時の権威者たる御父の掌の上にある事を悟り、神への道が見えて来ます。

なぜなら人が地上を去った後、見張りの者の仕事に就く事も、不可能ではないからです。

またそれは、タビタが聖霊として白い衣を作る事が出来る事も、示しています。

アーメン