20221107

熊本市長選にウンザリしてますが、アメリカの中間選挙は大いに気になります。

独裁者好きの人物が、再びやる気になってますから。


娘シオンよ、大いに踊れ。

娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶる事なく、ロバに乗って来る、雌ロバの子であるロバに乗って。

(ゼカリヤ書9章9行)


~祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。

そして、叫び続けた。

「ホサナ。

主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」

イエスはロバの子を見つけて、お乗りになった。

次のように書いてあるとおりである。

「シオンの娘よ、恐れるな。

見よ、お前の王がおいでになる。

ロバの子に乗って。」

弟子たちは最初これらの事が分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたという事を思い出した。

(ヨハネ福音書12章12~16行)


受ける印象がゼカリヤ書の記述と少し違いますし、同じ箇所でマタイ福音書ともマルコ福音書とも、多少違っています。

ですが、この印しがあった事は事実で、秘められた象徴に臨んでみたいと思います。

不思議な預言の成立ですが、民数記にあるバラムと喋るロバと抜き身の剣の御使いの話に、真の知らせに繋がるヒントがあるように思われます。


主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たロバは、道をそれて畑に踏み込んだ。

バラムはロバを打って、道に戻そうとした。

主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。

道の両側には石垣があった。

ロバは主の御使いを見て、石垣に体を押し付け、バラムの足も石垣に押し付けたので、バラムはまた、ロバを打った。

主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地

のない狭い場所に立ち塞がった。

ロバは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。

バラムは怒りを燃え上がらせ、ロバを杖で打った。

主がそのとき、ロバの口を開かれたので、ロバはバラムに言った。

「私があなたに何をしたというのですか。

三度も私を打つとは。」

(民数記22章23~28行)


三度打たれたロバは、イエスを表してる様に感じます。


そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「めしあ、お前を殴ったのは誰か。言い当ててみろ」と言った。

(マタイ福音書26章67、68行)


そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

(マタイ福音書27章26行)


また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。

(マタイ福音書27章30行)


イエスは大祭司の屋敷と、裁判所と、総督官邸の3ヵ所で、打たれたと記されています。

また、抜き身の剣で御使いが立ち塞がった道が、滅びに至る広い門で、ぶどう畑の狭い道が、救いに至る狭い門の象徴になっていると思われ、道の両側の石垣がエルサレムの城門の暗示でしょう。

そうなると、バラムはイエスの死を求めた祭司長や長老たちの、象徴持ちという事になります。


彼らは、正しい道から離れてさまよい歩き、ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです。

バラムは不義のもうけを好み、それで、その過ちに対する咎めを受けました。

ものを言えないロバが人間の声で話して、この預言者の常軌を逸した行いをやめさせたのです。

(ペトロの手紙第二2章15、16行)


神の声を聞いたバラムも、モーセの怒りを買う不義を行い、滅ばされました(民数記3章8~16行)。

また、ロバを怯ませた抜き身の剣の御使いは、イスカリオテのユダに入って、イエスを死に誘ったサタンを表していると思われます。

サタンは元ケルブだった御使いで、今の意味名は死ですから。


イエスは自身を表すロバの子に乗って入城しました。

ゼカリヤ書の預言では、子ロバは雌ロバの子となっており、そうなると雌ロバは御父の翼の御方ですから、イエスがヨハネの洗礼を受けた時に来られた、聖霊という事になります。


その時、天がイエスに向かって開いた。

イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

『その時、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。』

(マタイ福音書3章16、17行)


黙示録には再臨されるイエスが記されていますが、ロバではなく馬に乗られて来られます(ヨハネ黙示録19章11行)。

玉座の王として白馬でお出でになられるようですが、生誕して天使よりも低くなられた人間イエスとしては、ロバで入城する事でへりくだられたと思われます。

これがサタンなら、愚か者の代名詞とも評されるロバに乗るなど、選択肢にないイメージ戦略ですから、その価値観の対極が伺える印しになりました。


ロバについて調べましたが、なぜ雌ロバに御父の翼の御方が例えられたのかは、分かりませんでした。

まあ、恐れおおい探求にもなりかねませんから、難しいテーマですね。

アーメン