20221029
脱カルト教会という団体の記事を見ました。
新たに旧統一教会以外の団体名が出て、二世とされる被害信者が声を上げていました。
この団体も熱心に女性信者が勧誘活動していて、自宅にも何度か来た事があります。
最もその時は「無宗教です」と事実を述べて、お引き取り頂いてますが。
団体は定かでありませんが、宗教者らしい女性二人組を、町でもよく見かけます。
自転車ですと外人の方もおり、男である場合もあります。
ですが基本的に女性が多く、洗脳問題のケースで出てくる場合も、女性のパターンが多いと感じます。
パウロもコリント信徒への手紙で、少し厳しく女性信仰者を抑制していますが、聖霊候補の道筋ゆえか、霊力に悪酔いして暴走的な盲目状態に陥る印象を受けます。
宗教に限らず、日常でも占いや風水といった民間信仰に女性は惹き付けられやすい傾向ですし、日本古来からもイタコや沖縄などの霊媒師は卑弥呼と同じく女性ですから、その傾向を自覚して歯止めをかけられる行動が求められます。
アドレナリン的には物足りないかもしれませんが、タビタこそ縁の下の力持ちで大きな祝福に至った偉大な先駆者ですから、その報せに倣う事こそ、使徒の頭たるペトロの判断に沿うことになるはずです。
霊力に悪酔いした状態は、アル中やヤク中と何ら変わりなく、その偽りの甘美に魅せられてはなりません。
シオンの娘たちですら、暴走して退けられている時代もあるのですから、聖書から学んで霊力酔いが抜けた状態を維持しなければなりません。
異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。
それは誰にも分かりません。
彼は霊によって神秘を語っているのです。
(第一コリント14章2行)
バベルの塔の時の言語分けや、使徒言行録中の知り得ぬ未知の外国語が、異言とされています。
誰にも正確に判断できない特性から、この賜物使いを自称する宗教者も多いと感じます。
恐れ知らずの、神の御手詐欺でしょう。
ですがそれも自由意思のもと、認められているから厄介です。
八陽火の開示は、未知の言語ではなく母国語で報せていますが、異言としても形成されています。
対象を人間だけとはしておらず、空間内の存在にも告げていますから、見張りの者たちや翼ある者たちにも開示しています。
その中には盗賊団の担当者たちもありますから、何度か然りや否も起きています。
玉座より遠ざかっている事から、遣いの人間を通じてしか、御心を知り得ないからです。
私はまた、一人の天使が、底無しの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。
この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底無しの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。
~それは命の書である。
死者たちは、これらの書物に書かれている事に基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。
海はその中にいた死者を出し、彼らはそらぞれ自分の行いに応じて裁かれた。
死(サタン)も陰府(ラハブ)も火の池に投げ込まれた。
(ヨハネ黙示録20章)
千年王国のイエスが統治する平和は、サタンや寝ずの番人などの、闇側の見張りの者たちが失職する事で成立します。
これまでの歴史にはない出来事であり、真の平和が訪れます。
千年間だけですが。
そして七千年期の終わりに、この女の方と十二使徒たちの使命時間があり、最後の審判に至ります。
ですが海の中にいる死者が復活できずに裁かれるのは、そこにいるのが人ではなく寝ずの番人たちだからです。
この報せのゆえに、闇の燭台を奉るピラミッドの祭司たるファラオは、魔術師を従えて光側のモーセと相対し、寝ずの番人の象徴持ちゆえに海に沈められ亡くなりました。
寝ずの番人たちへの警告は、早くに報せとして成立していましたが、彼らはヨブ記に見られるように、頑なになり自身たちこそ試されている事には、全く気付きませんでした。
その為に今の暗い宇宙を出て、現実が変わる光の宇宙に行く事が出来ず、火の池宇宙行きと預言されています。
それでも今回の預言の解釈となる異言は、闇側には退けられるでしょう。
イエスの時代に、多くの人が奇跡を求めてイエスに会いに来ました。
ですがイエスは、弟子たちと向かい会うようにハッキリとは言われず、例え話を使われました。
理解には至らないと判断されたからです。
聖霊や御使いの介入がなければ、人だけの力では成立できないようになっているからです。
その為にも、八陽火の開示は空間内の者たちにも向けられています。
最後通告だけではなく、担当する者たちを導き成果を王にお届けしましょうという、紡ぎです。
見張りの者たちや聖霊たちの介入があれば、真に大きな劇的変化が人に起こりますから、これまでの歴史の中で繰り返された事に、終止符が打てるからです。
それでも不変の預言においては、難しい希望である事も事実ですが・・・
最近、どなたかがサムエルを待たなかったサウル王の不義を、書かれていました。
サウル王はルシフェルの象徴持ちですから、サムエルが軽んじられようと、何れにせよ退けられる存在でしたから、サウルに支払われた王体験は、高い代償に繋がりました。
イエスがそうであったように、その日その時は御心に沿わなければなりません。
定められた時より、早くに立てば退けられます。
八陽火にもその時があり、人の計画が介入して早める事は出来ず、それは闇側の誘惑でしかありません。
アフガニスタンで亡くなられた中村医師が、人生において八陽火が敵わない方なのは当たり前です。
それは神の秤において明らかにされており、王においても確かな判断でしょう。
同じように、自分の人生は自身で形成するものですから、マザーテレサのように活動するのもその人の人生です。
そこに七つの教会の権威があればとか、保険を求める事は出来ません。
自身の人生は自分で決断して、空間内の者のサポートを得られるのかで、判断しましょう。
ですが然りも否もあって人生ですから、完璧を望めれば退けられる事になります。
イエスが、活動時間内に弟子たちに聖霊を求めず、何度も憤りを受け入れられたように、また、イエスがお戻りになるまで出番を待機された聖霊のように、真の信仰者は忍耐を御心として、その時を同じ様に信じる事が求められています。
今の時代の者たちは、本当に再臨されるイエスを見届けられるのですから、創造主から受け賜う肉の器の神殿を、整え待ちましょう。
他のカルトの件も記事になっている事から、聖書とイエスの話が人々に対して、難しい流れになりそうです。
七つの教会にとってはマイナスになる風で、やはり終末にあって恵まれた時代の日本人には、厳しい未来が待っているようです。
アーメン
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