防犯対策で怪我をしたと被害者を訴える盗人の正当性

私が民を回復させようとし、イスラエルを癒そうとしても、かえってエフライムの不義、サマリアの悪が現れる。

実に、彼らは偽りを企む。

盗人は家に忍び込み、外では追いはぎの群れが襲う。

私は彼らの悪事を全て心に留めている。

しかし、彼らは少しも意に介さない。

今や、彼らは悪に取り込まれ、その有り様は私の目の前にある。

(ホセア書7章)


八陽火は職業教会教師ではないので、献金を求める必要もなく、個人の探求結果として無償開示を行っています。

聖書を説きながら教師と盗人を使い分けて献金を受け取るのは、出す方に対して本当に愛があるのか、第三者は如何に判断するでしょうか。

サルディス教会宛ての手紙から、しきりに王の言葉に乗っかっての仕返しを試みてますが、いまやそのマイナス思考の視点は福音や使徒たちの言葉にまで及んでいます。

如何にディベートに勝つかに焦点があり、聖書の御言葉に救いではなく挙げ足取りでの打開を試みても、御使いたちには輝いて見えず寝ずの番人の出番になるだけです。

仲間宛てのメールを盗見なければ傷付いたりはしないという前提がある以上、同情はしません。

それに盗賊団は聖書を知っているのですから、第三者から見ればそれが如何に悪質で根が深いか、冷静に分かる事ですから。


現在という時間は黙示録からも、悪が多く元気な時代です。

神を信じる者なら、何故毒麦の種は蒔かれるのか?、何故育つのが許されてるのかと、御心が分からないと思われるでしょう。

八陽火は強い光の子らを育てる為に、悪に染まらないで信仰を保つ茨の道を臨まれてると見ています。


「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。

主なる神はこう言われる。

お前はあるべき姿を印象とした者(ルシフェルの写し)であり、知恵に満ち、美しさの極みである。

お前は神の園であるエデンにいた。

あらゆる宝石がお前を包んでいた。

~私はお前を翼を広げて覆うケルブとして造った。

お前は神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた。

お前の歩みは無垢であったが、ついに不正がお前の中に見出だされる様になった。

~そこで私はお前を神の山から追い出し、翼で覆うケルブであるお前を火の石の間から滅ぼした。~」

(エゼキエル書28章)


七つの教会に集い千年王国にたどり着ける方々、及び十四万四千人に報せるなら、主は苦労知らずのエリートの信仰を信用していません。

ゆえに六千年期間の現在に当たるフィラデルフィアの教会宛ての手紙には、忍耐がキーワードとして栄光に至る記述があります。

残念ながら寝ずの番人は活発化し、多くの人が誘惑に魅せられて負けてしまいます。

毒麦の種が蒔かれ、六十倍にも百倍にも育つのが今は御心です。

退けましょう。

その決断は主に御使いに美しく映ります。

忘れられたりはしません。


~主の言葉が私(ゼカリヤ)に臨んだ。

「~その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である。」

私は言葉をついで御使いに尋ねた。

「燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか?」

~彼は「これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである」と言った。

(ゼカリヤ書4章)


『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次の様に言われる。~』

(ヨハネ黙示録3章1行)


また、玉座の前には、七つのともし火(炎の鏡)が燃えていた。

これは神の七つの霊である。

(ヨハネ黙示録4章5行)


王は七つの教会を全世界にそれぞれ配置し、人々は分かる形で仲介を確認出来ます。

見えない御使い達と見える御使い達の両立があり、、七つの教会(パン籠の印・マタイ福音書15章32行~)は見える御使い達という立場で用意されています。

既に世界は神の振るいの中にあるのですから、誘惑を退け光の道に留まらなければなりません。


アーメン