20221008

今日は阿蘇プチツーリングに行って来ました。

明日明後日と雨のようですから、太陽光のある今日行って、本当に良かったです。

気温の低下のせいか、久しぶりの清んだ空気と視界で、自然が息ずいてました。

もうすぐ、すすきも黄金色に輝き始める時期ですから、寒さとは相まって、阿蘇の草原が美しい季節になります。

太陽光に映えるすすきは、御言葉の美しさに似通っており、無駄な着飾りの無さが、カラフルな華やかさを追及するサタンやラハブの美意識に反し、本当に天を感じさせられます。

最も晴れてない時の阿蘇は、青と緑の植物の冷たさを覚えさせられ、自然の厳しさを思い起こされますが。


前回の記事作成のとき、以前から感じていた違和感の言葉に、なぜか今になって強く引かれました。

それは『福音』という言葉です。

前回の記事で、福音と御言葉で表現を迷い、御言葉の方を使いました。

それは福音という表現の仕方に、内なる御霊のシンクロを感じられないからです。

新共同訳ですが、各福音書を見ると、マルコ福音書1章15行とルカ福音書4章43行で、イエスが御国の福音と言われています。

マルコ福音書1章15行を、マタイ福音書4章17行で見ると、イエスは福音とは言われておらず、真偽は不明です。

またルカ福音書4章43行を、共通するマルコ福音書1章38行で見ると、シンプルに「宣教」となっており、イエスが実際に使われた表現なのか、断定できません。


神の子イエス・キリストの福音の初め。

(マルコ福音書1章1行)


四つの福音書で、最初に記されたと言われているのがマルコ福音書で、その冒頭で福音という表現が使われています。

福音をネットで調べると、語源はギリシャ語からのようで、コイネーギリシア語で七十人訳に編纂される時に、良い知らせ=福音という表現になったのではと思わされます。

またルカ福音書と同じく、ルカが記した使徒言行録でも、20章24行でパウロが使っており、ルカの造語かなとも思え、ペトロの手紙を見ると1章12行で使われており、真偽は不明です。


福音書は、読み書きが出来ない使徒たちの言葉を、弟子たちが書記したと言われてますが、実際に『御国の知らせ』「イエスの御言葉」を、福音と証して宣べ伝えていた(使徒言行録21章8行、28章31行)かは、知り得ません。

ですがローマの信徒への手紙16行を見ると、福音と表現を用いていたと感じさせられますが、七十人訳の編纂の時に作られた造語かもとも思え、納得し難いものがあります。

というのも、真偽を確かめずに神童の噂を唯一記した?と思われるルカ福音書にしか、イエスが使ったとする記述がなく、ヨハネに至っては手紙にも黙示録にも無いからです。

また福音という言葉に、律法と同じ宗教言葉のような盲目を、強く感じられるのも理由です。

七つの教会では、御言葉を宗教に貶めない為にも、使用を止めてシンプルに回帰すべきと判断します。

紛らわしい宗教者と聖別される為にも。

アーメン