20220923

今日は阿蘇に行くつもりでしたが、知り合いが遊びに来たので、諦めました。

土日に、先週の分も兼ねて行こうかと考えてもいますが、台風の影響による風と、急な気温低下が心配ではあります。

気候の変化で、自律神経の乱れと、更年期障害の症状で苦労してますから、リフレッシュを求めて願いに行きたい所です。

とはいえ今年は、悪い意味での雨の少なさを地元で感じてますから、風向きにシンクロできるように、努めたいです。


また、イエスは言われた。

「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。

燭台の上に置くためではないか。

隠れているもので、あわらにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。

『聞く耳のある者は聞きなさい。』」

また、彼らに言われた。

「何を聞いているかに注意しなさい。

『あなた方は自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。

持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。』」

(マルコ福音書4章21~25行)


八陽火のブログの無償開示は、千年王国前の、福音の答え合わせのようなものです。

近い将来、主の厳しい介入があり(ヨハネ黙示録19章11~21行)、人々の魂が善と悪(光と闇)に基づいて、地上と陰府とに千年間別けられるからです。


それから、弟子たちに言われた。

「私について来たい者は、(以前の)自分を捨て、(過去の)自分の十字架を背負って、私に従いなさい(パウロの実例)。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

『自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。』~」

(マタイ福音書16章24~28行)


約二千年前に、イエスは玉座の王として降臨される時には、裁き司として挑まれるという事を宣言されています。

イエスはサタンと価値観が対極にあり、嘘の手法を使われない方ですから、前もっての宣言には、駆け引きや落とし所を模索しての牽制でない事を、光の信仰者は直視しなければなりません。

いずれ右と左に別ける裁判に、挑まなければならない立場と承知されてる方ですから、人間の裁判のように事を運べるなどと侮ってしまわないよう、安易なプラス思考には注意する必要があります。

玉座の王は、人間の造り主であっても、人間ではないのですから、地上の人間の裁判と混同して油断する事のないよう願わずにはいられません。

見えず感じる事の出来ない神の秤は、淡々と感情なく量るだけで、交渉など期待できないのですから。


耳ある無学な方々は、似て非なる宗教心と信仰心の違いに正しく目覚める事で、預言者たちや十二使徒たちと同じ神の道に、進めるはずです。

それが預言者に至った少数の者と、宗教者で終わる大多数の者との、シンプルな差なのですから。

アーメン