20220917
台風の影響で、今日阿蘇に行こうと考えてましたが、やはり疲れで無理でした。
それに阿蘇は雨の予報でしたし、風がかなり強くなってるはずですから、この三連休の天気は諦めるしかありませんね。
まあ、何とかクーラーなしでも過ごせてますから、この数ヶ月からすると久しぶりに不快感無しで休息出来て、短い秋が本当に待ち遠しいです。
慰めよ、渡しの民を慰めよと、あなた達の神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。
『呼びかける声がある。
主の為に、荒れ野に道を備え、私たちの神の為に、荒れ地に広い道を通せ。(洗礼者ヨハネ)』
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
『険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。(聖書開封の無償開示)』
主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。
主の口がこう宣言される。
呼びかけよ、と声は言う。
私は言う、何と呼びかけたらよいのか、と。
肉なる者は皆、草に等しい。
永らえても、すべては野の花のようなもの。
草は枯れ、花はしぼむ。
主の風が吹き付けたのだ。
この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ。
高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声を上げよ。
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声を上げよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。
見よ、あなた達の神、見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。
『主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。』
(イザヤ書40章1~11行)
今日はイエスと肉の兄弟たちと、ナザレの人たちについて考えました。
実家で親にマイナンバーカードの有無を聞かれたからです。
ポイント還元か何かで、買い物が出来ると喜んでの事でしたが、ハ陽火が「黙示録にサタンの遣いが数字で支配すると、約二千年前に預言されているから、マイナンバーカードは作らない」と言ったら、もったいないという顔をされました。
また、「悪霊が豚に入る話が聖書にあり、神が食料として禁じているから、豚食も止めた」と言ったら、「豚肉の味噌漬けは美味しいし、私は大好きよ」と返されました。
ここ最近、頻繁に頭をよぎる、出会った事は幸か不幸かについて、考えさせられます。
宗教は洗脳ですが、信仰は洗脳ではありませんから、親の守護は願えても目覚めは自由意思ですから、本当に難しい所です。
来るべきハ陽火の清算を、見せる事になるのだろうかとも想像し、神の道における親孝行のいばらの道に、イエスの時を思わされます。
イエスの十字架の側には、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とその側にいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。
「見なさい。
あなたの母です。」
その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
(ヨハネ福音書192527)
アーメン
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