20220818

先月ベルトを替えたスクーターの調子が、今一つです。

それにメーカーが勝手に、燃費を上げ馬力が下がる純正品に変更していた為に、ただでさえ非力なスクーターが、坂道で十キロも遅くなりました。

おかげで排気量が少し低い前車種と変わらなくなり、買って三年で乗り替えた喜びが台無しになりました。

それでも大自然の阿蘇山教会に行くときは、好んで山によく上られたイエスと同じく、期待に溢れて行かせてもらってます。


悪魔は答えた。

「何を言うか、アダム。

貴様が原因で俺はあそこから追放されたのだ。

貴様が形造られた時、俺は神の面前から追放され、天使たちの交わりの外へやられたのだ。

神が貴様の中に生命の息を吹き込み、貴様の顔が作られ、神の像に似た者とされた時、ミカエルも貴様をわざわざ連れて来て、神の見ている前で貴様を拝ませた。

そして、主なる神が、『見よ、アダム、私はそなたを私たちの像に似せ、私たちに似た者として作った』と言った。

すると、ミカエルは出てゆき、天使を皆呼んできて、『主なる神の命じられた通り、主なる神の似像を拝しなさい』と言った。

そして、ミカエルはまず自分が拝し、俺を呼んで、『神の似像を拝しなさい』と言った。

そこで俺は、『俺はアダムを拝する事は出来ない』と答えてやった。

ところが、ミカエルが拝するようにと俺をせき立てるので、俺は言った。

『どうして俺をせき立てるのだ。

俺は、自分よりも劣るもの、後からできたものを拝したりはしない。

被造物の中では俺のほうが先だ。

奴ができる前に俺は作られていたのだ(エセキエル書28章11~19行)。

奴こそが俺を礼拝しなければならない』と。

俺のもとにいる他の天使たちもそれを聞いて、これを拝しようとはしなかった(後の寝ずの番人たち)。

するとミカエルが、『神の似像を礼拝しなさい。あなたが拝しないなら、主なる神はあなたに対してお怒りになるであろう』と言った。

そこで俺は言ってやった。

『神が私に対してお怒りになるなら、俺は自分の座を天の星よりも上のほうに置き、いと高き方と似た者になってやる』と(イザヤ書14章13行)。

すると主なる神は俺に対してお怒りになり、俺は俺の天使たちと共に、俺たちの栄光の外へ追いやられた。

こういうわけで、俺たちは貴様が原因で自分たちの住居からこの世に追い出され、地に投げ落とされたのだ。

俺たちはあれほどの栄光を奪われたおかげで、たちまち苦悩に陥った。

そして、貴様があれほどの楽しい喜びのうちにいるのを見て、腹がたった。

そこで、俺は、貴様のかみさんをたぶらかして罠にかけ、ちょうど俺が自分の栄光から追い出されたように、貴様がかみさんのおかげで、自分の楽しい喜びから追い出されるようにしてやったのだ。」と。

(アダムとエバの生涯13~16)


エデンから退けられた後も、サタンの誘惑がエバに訪れた為に、キレたアダムが憎む理由を問いただし、サタンが答えた箇所です。

拝す拝さないがポイントになってますが、見張りの職の始めにあって、人間に仕えよという神の指令があっての出来事でした。


天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐ事になっている人々に仕える為に、遣わされたのではなかったですか。

(ヘブライ人への手紙1章14行)


パウロも手紙で証ししている通りで、天使たちは空間内から人間をサポートするよう、使命を受けました。

ですが自身の価値観・美学に基づき、サタンと彼に従う天使たちは拒絶し、神の前から退けられました。

そしてサタンは陰府の底へ(イザヤ書14章9~12行)、堕天使たちは人が寝静まる夜が活動の場となり、寝ずの番人という見張りになりました。


悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。

すると、イエスは言われた。

「退け、サタン。

『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

そこで、悪魔は離れ去った。

すると、天使たちが来て、イエスに仕えた。

(マタイ福音書4章8~11行)


イエスが悪魔から受けた三つの誘惑のうち、最後の誘惑部分です。

感情的でプライドの高い、サタンらしい復讐の仕方がよく分かる誘惑で、外典偽典アダムとエバの生涯にあるサタンの告白通り、アダムに拝する事を求められた時の憤りと怒りの強さが、強く伺えます。

ですから闇の権威を退け、御父とその翼の御方と、御子とその翼の御方の玉座の栄光である、四者一体に至りましょう。

ケルビム(エゼキエル書1章5行)の栄光は、玉座の方々にならう姿なのですから。


「~あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆のしもべになりなさい。

『人の子が、仕えられる為ではなく仕える為に、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げる為に来たのと同じように』。」

(マタイ福音書20章26~28行)


造り主は自身の作品である人間に仕えました。

そして自分の命を身代金として、死に渡されました。

救いに至るべき者たちの為に。

イエスと翼の御方の、アダムとエバの子孫への愛は本物です。

救いに至る狭い門に、勇気をもって通れる者は幸いです。

アーメン