20220806

今週は暑さとクーラーバテで、体調がくずれました。

猛暑は水曜まででしたが、水分の取りすぎで足がむくみ、右のヒザ痛と左半身の神経痛が出て、疲れますね。

去年のように長雨期間が来れば、クーラーを回避して神経痛は抑え込めるのですが、来週も変わらない一週間となりそうです。


もし人がその妻を出し、彼女が彼のもとを去って、他の男のものとなれば、前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。

その地は汚れてしまうのではないか。

お前は多くの男と淫行にふけったのに、私に戻ろうと言うのかと、主は言われる。

目を上げて裸の山々を見よ、お前が抱かれなかった所があろうか。

荒れ野でアラビア人が座っているように、お前は道端に座って彼らを待つ。

淫行の悪によってお前はこの地を汚した。

『雨がとどめられ、春の雨も降らなかったのはその為だ。』

お前には遊女の額があり、少しも恥じようとしない。

「あなたは、わが父、私の若い日の夫」と、お前が私に呼びかけるのは、今が初めてだろうか。

「主はいつまでも憤り、限りなく怒り続けるだろうか」と、お前は言いながら悪を重ねる。

それでもお前は平気だ。


ヨシヤ王の時代に、主は私に言われた。

あなたは背信の女イスラエルのした事を見たか。

彼女は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけった。

彼女がこのような事をした後にもなお、私は言った。

「私に立ち帰れ」と。

しかし、彼女は立ち帰らなかった。

その姉妹である裏切りの女ユダはそれを見た。

背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、私は彼女を離別し、離縁状を渡した。

しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。

彼女は軽薄にも淫行を繰り返して地を汚し、また石や木と姦淫している。

そればかりでなく、その姉妹である女ユダは真心から私に立ち帰ろうとせず、偽っているだけだ、と主は言われる。

主は私に言われる。

裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった。


行け、これらの言葉をもって北に呼びかけよ。

背信の女イスラエルよ、立ち帰れと、主は言われる。

私はお前に怒りの顔を向けない。

私は慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではないと、主は言われる。

ただ、お前の犯した罪を認めよ。

お前は、お前の主なる神に背き、とこにでも茂る木があれば、その下で、他国の男たちと乱れた行いをし、私の声に聞き従わなかったと、主は言われる。


背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。

私こそあなた達の主である。

一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、私はあなた達を連れてシオンに行こう。

私はあなた達に、心にかなう牧者たちを与える。

彼らは賢く、巧みに導く。

あなた達がこの地で大いに増える時、その日には、と主は言われる。

『人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に思い浮かべる事も、思い起こす事もない。

求める事も、作る事ももはやない。

その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい(ヨハネ黙示録21章24行)、主の御名のもとにエルサレムに集まる。

彼らは再び、頑なで悪い心に従って歩む事をしない。』

その日、ユダの家はイスラエルの家と合流し、私があなた達の先祖の所有とした国へ、北の国から共に帰って来る。

(エレミヤ書3章1~18行)


過ぎた事なのでスルーしてましたが、イスラエルの家とユダの家の聖霊への神の怒りについて、如何なる真意から民の自由を尊重して、偶像崇拝や主離れになったのか、梅雨明けから求めて見ました。

イエスはエルサレムの、聖霊の翼の下に民を集めても、預言者は皆殺されたと言い(マタイ福音書23章37~)、イエス自身も十字架刑に処せられました。

聖霊が人間を赤子のように愛され、自由のもとに許容されて、厳しい愛は主や御使いに任せられていると感じてましたから、姿勢や優先順位に違いを覚え、問うてみようと思いました。

多数の滅びに至る広い門を通る者たちに、少数の救いに至る門を通る者たちが忍耐を強いられても、多数の為の少数の犠牲はやむ無しとしたのか、スルー出来なくなったからです。

ですが、この件は報せなくとも、生誕前に八陽火の反応は見てるので、ぶり返さないと退けられています。

ならば、そういう事で落胆の反応なのだろうと想像し、この件は過ぎたる事としています。


小羊が第五の封印を開いた時、『神の言葉と自分たちがたてた証しの為に殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。』

彼らは大声でこう叫んだ。

「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」

すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間のしもべである者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく待つようにと告げられた。

(ヨハネ黙示録6章9~11行)


八陽火が係わる第五の印しの預言です。

信仰を貫いてに死に至った(マタイ福音書10章39行)少数の者たちで、その為に八陽火は祭壇(燭台)のもとに集った者たちに、白い衣を渡す仕事があります。

ですが今回の探求で、彼らから「お前は守護を怠った」と非難を浴びるかもしれない関係性があると知り、ならばこの使命は自分が果たすべきと思え、守護者も聖霊も責任があると痛感しました。


天気予報だと、明日の阿蘇は晴れそうです。

体調は今一つですが、太陽の光を浴びてリフレッシュして、霊を整えたいと願います。

アーメン