20220725

日本人のサル痘患者が出たようです。

昔ドキュメンタリーで見た、レック病(病気ではない?)を思い出し、ゾッとします。

ほぼ男が発症してるようで、ワクチン接種の話もあり、新型コロナワクチンよりも、警戒感を持ってしまいます。

十四万四千人の器封じかなとも、想像してしまうからです。


~主の言葉が私に臨んだ。

「人の子よ、私はあなたを、イスラエルの家の見張りとする。

私の口から言葉を聞くなら、あなたは私に代わって彼らに警告せねばならない。~」

(エゼキエル書3章16、17行)


主の言葉が私に挑んだ。

「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。

私がある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで『見張り』とする。

彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。

~人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。~」

(エゼキエル書33章1~7行)


預言者エゼキエルは、主から見張りの使命に選ばれました。

最も預言者は皆、見張りの職にありますから、御使いが生誕して人間になったのと同じ事ですから、何の不思議もありません。


~私の民は私の名(御父)を知るであろう。

それゆえその日には、私が神である事を、「見よ、ここにいる」と言う者である事を知るようになる。

いかに美しい事か、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

彼(御子)は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、『あなたの神は王となられた』、とシオンに向かって呼ばわる。

その声に、あなたの『見張り(十二使徒)』は声を上げ、皆共に、喜び歌う。

彼ら(ペトロたち)は目の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを(使徒言行録1章10行)。

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。

主はその民を慰め、エルサレムを贖われた(最初の聖霊受洗)。

主は聖なる御腕の力を、国々の民の目にあらわにされた。

地の果てまで、すべての人が、私たちの神の救いを仰ぐ(福音伝動)。

(イザヤ書52章6~10行)


イエスと十二使徒たちに関する預言で、ペトロたちも聖霊を受けて見張りにある事が分かります。

彼らの福音伝導も、エゼキエルと同じく警告として、すべての民にもたらされた事だと分かります。


エルサレムよ、あなたの城壁の上に、私は『見張り』を置く。

昼も夜も決して黙してはならない。

主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない。

また、主の沈黙を招いてはならない。

主が再建に取りかかり、エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。

(イザヤ書62章6、7行)


千年後の箱船エルサレムの前に、千年王国でまずは地上のエルサレムが再建されなければなりません。

人間たちの地図上における、今のエルサレムではなくです。

エルサレムの真の聖霊と守護天使も今はそこに不在ですし、名ばかりの都は退けられなければなりません。

同時にユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒のタイムリミットも迫っており、千年王国の民の到来が近いと感じれます。

霊が諸教会に告げる事(ヨハネ黙示録3章6行)こそ、黙してはならない内容ですから。


野のすべての獣よ、森のすべての獣よ、食べに来るがよい。

『見張り』は誰も、見る力がなく(先見)、何も知らない。

口を閉ざされた犬で、吠える事が出来ない。

伏してうたたねし、眠る事を愛する。

この犬どもは強欲で飽く事を知らない。

彼らは羊飼いでありながらそれを自覚せず、それぞれ自分の好む道に向かい、自分の利益を追い求める者ばかりだ。

「さあ、酒を手に入れよう。

強い酒を浴びるように飲もう。

明日も今日と同じこと。

いや、もっと素晴らしいにちがいない。」

(イザヤ書56章9~12行)


見張りは見張りでも、終末の獣と偽預言者に表されるように、寝ずの番人側の見張りの事です。

光の預言者の見張りだけが地上に在るわけではない事を報せる預言で、ノアの大洪水を地上に招いた寝ずの番人たちも、見張りの預言者だった事が分かります。

ですが彼らは、エノク書の記述通り、神の逆鱗に触れ退けられました。

そしてイエスと十二使徒たちの時代に、地上に不在だった寝ずの番人たちの見張りが、この終末に戻って来ます。


この女(淫婦バビロン)を見て、私は大いに驚いた。

すると、天使が私にこう言った。

「なぜ驚くのか。

私はこの女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。

『あなたが見た獣は以前(大洪水前)はいたが、今はいない。

やがて底無しの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。

地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。』~」

(ヨハネ黙示録17章6~8行)


天地創造の時から命の書に名が記されているのは、見張りの者=光と闇の預言者たちですから、新しい命たちには意味不明な報せでしょう。

肉の脳では能力外の展開ですから。

再び地上に滅びをもたらす者たちの訪れに、エルサレムの城壁の見張りは、昼も夜も黙せず、主に思い起こしていただかなくてはなりません。

北から来るアバドンとイナゴの群れの脅威を、退ける為に。


アーメン