天でも地でも伝道者
七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。
(ヨハネ黙示録1章20行)
黙示録の中では、星を天使の象徴として書かれています。
また、もう一つのしるしが天に現れた。
見よ、火の様に赤い竜である。
これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。
竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。
(ヨハネ黙示録12章3、4行)
さて、天で戦いが起こった。
ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。
竜とその使い達は応戦したが、勝てなかった。
(ヨハネ黙示録12章7、8行)
竜=サタンは、夜の見張りの者である寝ずの番人を引き連れ、天を地を襲います。
軍勢の数は三分の一といいますから、油断のならない勢力です。
残された時間を、最初の思いにのせて実行して来ます。
かつて、お前は心に思った。
「私は天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂きに登って
いと高き者の様になろう」と。
(イザヤ書14章13、14行)
この思いに駆られた理由は、人間の心でもよく起こる、玉座中央の御父を見、慣れて侮りが大きくなった為です。
「これらの小さな者を一人でも軽んじない様に気をつけなさい。
言っておくが、彼らの天使たち(担当者)は天でいつも私の天の父の御顔を仰いでいるのである。~」
(マタイ福音書18章10、11行)
御使いも寝ずの番人もサタンも、天で御父を目撃出来ています。
ただしサタンや寝ずの番人は認めませんが、皆が目撃できている御父は、光の宇宙から降臨されての御姿であり、本当の御姿の父を目撃出来てる訳ではありません。
イエスで言えば、処刑された器は誰でも目撃出来ても、復活して玉座に座るお姿に戻られたイエスは、限られた者たちにしか知らされなかったのと同じです。
ですから天にも、地上でいう所の預言者の地位の者たちがいます。
それが天の巻物を神の言葉を受けて書記する、天の預言者です。
そしてイエス自身も小羊の命の書の書記者であり預言者です。
私はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。
~小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。~
「あなたは巻物を受け取り、その封印を開くのに相応しい方です。~」
(ヨハネ黙示録5章)
この巻物を書記し封印したのは、生誕前のイエスですから、当然イエスだけが開けます。
イエスは他にも、光の信仰者たちの名前が記された、小羊の命の書(黙示録3章5行)や、裁きに使用される命の書(黙示録20章12行)を、書記されています。
そして、ぺトロが疑問に思ったイエスとゼベダイの子ヨハネの関係の謎も、天の書記者仲間という繋がりが理由です。
それから天使は「書き記せ、小羊の婚宴に招かれてる者たちは幸いだ」と言い、また、「これは神の真実の言葉である」とも言った。
(ヨハネ黙示録19章9行)
これは天の書記者の暗示です。
ヨハネは天でも地でも預言者ですから、ぺトロの様に教会の頭にはなれませんでした。
ですからイエスも「偉いと思う者はへりくだれ」とぺトロを頭に立てました。
最もこれは、一回目に当たる二千年前の話で、二回目に当たる千年王国終わりの十二使徒の生誕では、十二の星は等しく光ってますから、ぺトロから新しい栄光を見る事が出来るはずです。
エリヤである洗礼者ヨハネも天の書記者です。
ですから聖なる者たちの血を狙う淫婦バビロンは(ヨハネ黙示録17章6行)、預言者たちの中でも極上の霊力の血として、イゼベルにもヘロディアにも狙わせました。
また、ダビデは違いますが、ガドやナタンといった同時代の預言者たちも、書記者の可能性が高いと八陽火は見ています。
主は常に人の視界の中心には、地だけの預言者を立て、天でも預言者である者は外して立てられますから、新しい視点で聖書を開けば、より御心が近く伝わるのを感じられるはずです。
竜が掃き寄せる三分の一が、二分の一に近い三分のいるなのか、または四分の一に近い三分の一なのかは、空間内の者たちへの書記者たちの伝道結果で明らかになります。
寝ずの番人は光の宇宙も御父の真の御姿も信じてませんが。
地で紡ぐ事は天でも紡がれ繋がっているを、八陽火の言葉多く開示して見ました。
今回はここまで。
アーメン
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