見えない法則と向き合い光の道へ

主は士師たちを立てて、彼らを略奪者たちの手から救い出された。

しかし、士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋したって姦淫し、これにひれ伏した。

彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じ様に歩もうとはしなかった。

主は彼らの為に士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中テキノ手から救って下さったが、それは圧迫し迫害する者を前にして呻く彼らを、主が哀れに思われたからである。

その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、そのわるい行いと頑なな歩みを何一つ断たなかった。

主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。

「この民は私が先祖に命じた私の契約を破り、私の声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだ時に残した諸国の民を、私はもうこれ以上一人も追い払わない事にする。

彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けた様に主の道を歩み続けるかどうか見る為である。」

(士師記2章16~22行)


導きより裁きを優先して行う、寝ずの番人をモデルとした士師たちが、これ以降出番となったきっかけです。

堕落が収まらないなら、寝ずの番人スタイルの者たちが最適ですから。


主はサタンに言われた。

「お前は私の僕ヨブに気づいたか。

地上に彼ほどの者はいまい。

無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けている。」

サタンは答えた。

「ヨブが、利益も無いのに神を敬うでしょうか。

あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。

彼の手の業をすべて祝福なさいます。

お陰で、彼の家畜はその地に溢れる程です。

一つこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。

面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

主はサタンに言われた。

「それでは、彼の物を一切、お前のいいようにしてみるがよい。

ただし、彼(の魂)には手を出すな。」

サタンは主の下から出て行った。

(ヨブ記1章8~12行)


ヨブの汚れ払いに、裁きの執行を得意とする寝ずの番人を使われる所です。

サタンは長く人間を観察してますし、自身の行動原理も分かってますから、当たり前の様に損得勘定こそ軸として、主に考えを訴えます。

サタンの発言は、人間がそのまま話してる様に感じられるはずです。


更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその繁栄ぶりを見せて、

「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」

と言った。

すると、イエスは言われた。

「退け、サタン。

『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』

と書いてある。」

そこで、悪魔は離れ去った。

すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

(マタイ福音書4章8~11行)


ここにある悪魔の言葉は、特に人間味に溢れてると感じられるでしょう。

人の間でも見られるやり取りで、メンタルが人と変わらないと分かるはずです。

ですが、人間ではなく生物を超えた上位存在という立場ですから、導きと裁きの判定をする見張りの職にある事は、人間には恐ろしい事実です。

ですがそれでも、現代にいる法律の抜け道をしきりに探すズルに魅せられた者の様に、主に裁かれない様に拡大解釈をフル活用してしか動けませんから、この狡猾な寝ずの番人に心の隙を与えない様に、御言葉に触れ続けて人生を歩いて行くしかありません。

次に来る千年王国では、ルシフェル同様、寝ずの番人も千年間地上より失われて、人類初の平和が訪れますから。


聖なる見張りの天使が天から降ってくるのが見えた。

天使は大声に呼ばわって、こう言った。

「この木(サタンの象徴である死の木)を切り倒し、枝を払い葉を散らし、実を落とせ。

その木陰から獣(寝ずの番人)を、その枝から鳥(闇の聖霊)を追い払え。

ただし、切り株と根は地中に残し、鉄と青銅の鎖をかけて、野の草の中に置け。

~こうして7つの時(7千年目=千年王国)が過ぎるであろう。~」

(ダニエル書4章10~13行)


私はまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。

この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさない様にした。

(ヨハネ黙示録20章1~3行)


人類がまだ知らない平和が、今の後に来るのは決定事項です。

不適材不適所に人が感じられる上位存在は、千年間地上より退けられますが、それは彼らを自由意思で隣人とする、罪人も退けられてる事を意味しています。

その為の毒麦の刈り入れは、非情なまでに起こります。


~アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知の上で、代金を誤魔化し、その一部を持って来て、使徒たちの足下に置いた。

すると、ぺトロは言った。

「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金を誤魔化したのか。

~あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。

~それから三時間ほど経って、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。

ぺトロは彼女に話しかけた。

「あなた達は、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。

言いなさい。」

彼女は、

「はい、その値段です。」

と言った。

ぺトロは言った。

「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何とした事か。

見なさい。

あなたの夫を葬りに行った人達が、もう入り口まで来ている。

今度はあなたを担ぎ出すだろう。」

すると、彼女はたちまちぺトロの足下に倒れ、息が絶えた。

(使徒言行録5章1~10行)


愛と罪からの解放を訴えたぺトロからは、激しく厳しいと感じさせる話です。

これはイエスも警告した(マタイ福音書12章31、32行)、聖霊への冒涜に抵触してますが、裁きの最大の理由はセラフ失格にあります。

この夫婦は知らず知らずにセラフ化の道に臨み、失格の烙印で退けられたのです。

セラフは光の宇宙に飛んで行けますから、汚れを持ち込むリスクの発生には、強く主は挑まれます。

ですから聖霊を受けているぺトロも、容赦しませんでした。


人は見えない法則の下にあり、見えない光と闇の存在に干渉を受けています。

生物の力でこれに対抗する事は、大変に難しい事です。

ですから信仰を持って、御使いを担当者として護ってもらうしかありません。

御使いに良い働きかけを仕事として頂ける様に、人間側でも心掛けなければなりません。

自由意思の使い方で、寝ずの番人に隙を与えないよう、強く願います。


今回はここまで。

アーメン