見えない高度社会と存在たちの攻防
マリアは墓の外に立って泣いていた。
泣きながら身を屈めて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
(ヨハネ福音書20章11、12行)
イエスが離れ去って行かれる時、使徒たちは天を見つめていた。
すると、白い服を着た二人の『人』(聖霊=翼は肉眼では見えない)が側に立って言った。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
あなた方から離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなた方が見たのと同じ有り様で、またおいでになる。」
(使徒言行録1章10、11行)
そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、妬みに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。
所が、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。
(使徒言行録5章17~20行)
省略
(使徒言行録10章1~8行)
ヘロデがぺトロを引き出そうとしていた日の前夜、ぺトロは二本の鎖で繋がれ、二人の兵士の間で眠っていた。
番兵達は戸口で牢を見張っていた。
すると、主の天使が側に立ち、光が牢の中を照らした。
天使はぺトロの脇腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。
すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
天使が、「帯を締め、履き物を履きなさい。」と言ったので、ぺトロはその通りにした。
また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。
それで、ぺトロは外に出てついて行ったが、天使のしている事が現実の事とは思われなかった。
幻を見ているのだと思った。
(使徒言行録12章6~9行)
省略
(使徒言行録12章20~23行)
~パウロは彼らの中に立って言った。
「~私が仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしの側に立って、こう言われました。
『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せて下さったのだ。』
ですから、皆さん、元気を出しなさい。~」
(使徒言行録27章21~25行)
イエスが復活された時、空間内の御使い達の存在も、光の信仰者たちに解放されました。
見えてサポートを受けられる様になったのです。
復活したイエスは、ダビデやステファノが見た、御父の右の座に座られておられた姿(アダムが似せられて造られた御姿)にお戻りになられた為、イエスの姿の時とは違い、限られた者たちだけしか目撃が許されませんでした。
その天での御姿が復活して解放されたタイミングで、空間内の御使い達も、光の信仰者たちに限り解放されたのです。
イエスは振り向いてぺトロに言われた。
「サタン、引き下がれ。
あなたは私の邪魔をする者。
神の事を思わず、人間の事を思っている。」
それから、弟子たちに言われた。
「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。
~人の子は、御父の栄光に輝いて天使たちと来るが、その時、それぞれの行いに応じて報いるのである。
はっきり言っておく。
ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
(マタイ福音書16章23~28行)
イスカリオテのユダを担当とする寝ずの番人が共にいた為に、イエスと使徒たちは常に隙を狙われてました。
聖霊を受ける前のぺトロも代弁者となり、イエスから叱責を受けています。
イエスが復活する前から、御使いも寝ずの番人も空間内から共にいた為に、死なない者がいると言われたのであって、主が定めた百年の目安を超えて人間を続ける者がいるわけではありません。
多くの人は不死身を褒美の様にとらえ憧れますが、聖霊を天の住人権を得た者にとっては、地上に縛り付けられるのはただの拷問であり裁きです。
光の兄弟一族に、そんな意地悪を主はなされません。
ですからパウロも本音で主のもとへ早く行きたいが、使命を果たさなければと述べました。
聖霊を受けた者は、千年を超えて人間を続ける事を、誰も褒美とは思ってません。
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたの為に天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たる事の無い様に、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
(マタイ福音書4章5~7行)
イエスを守護する空間内の御使い達を、羨ましさと妬みからからかい揶揄するサタンの言葉です。
こういうタイプは人々の間にも普通にいるので、非常に分りやすい心理でしょう。
ただ、残念ながら人間に近いメンタルで、人の上位種という存在で日常の判定者という立場ですから、非常にたちが悪いと感じるはずです。
地上の人々は数千年間、光と闇の戦場に知らずに立って日常を送ってるのが現実ですから。
空間内を脳が何も無いとする支配力は、とてつもなく強力で自力では破れない仕組みです。
この仕組みに風穴を空けるには、祈りが有効です。
とはいえ宗教で祈っても、御使いには届きにくいです。
それは宗教教師が宗教教義で応えれば宜しいと、見なされるからです。
実際、それを分かってて求める方もいる多いでしょう。
体感できる形を多くの方は求めますし、実感を得にくい事には不安を覚えるはずですから。
「~空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。~」
(マタイ福音書6章26行)
「~二羽の雀が一アサリオンで売られてるではないか。
だが、その一羽さえ、あなた方の父のお許しがなければ、地に落ちる事はない。~」
(マタイ福音書10章29行)
前に開示した通り、空間内には司る者=御使いいて、それぞれの担当の仕事に従事して地上を運行されています。
御父の御心に基づいて。
空間には何も無く、食物連鎖の頂点は人間で、知的生物も人間だけという感覚は、洗脳の様な支配力によるものです。
闇の権威を退け、主に御使い達に応えて頂ける祈りを上げましょう。
今回はここまで。
アーメン
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