20220511
今日の更新は別なテーマを考えてましたが、昨日骨子を作成した記事の後に、Xフレアが起きたようですから、御心と判断して今回はイエスの三日目の復活に触れたいと思います。
~イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する事になっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
(マタイ福音書16章21行)
一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。
「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
そして、殺されるが、三日目に復活する。」
弟子たちは非常に悲しんだ。
(マタイ福音書17章22、23行)
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトの所に集まって、こう言った。
「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、私たちは思い出しました。
ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。
そうでないと弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。~」
(マタイ福音書27章62~64行)
なぜかイエスの復活が、三日後になっています。
信じてない者たちですから、詳細はどうでもいいのでしょう。
ですがイエスは、三日三晩魚の腹の中にいたヨナ(ヨナ書2章1行)と同じように、人の子も三日三晩、大地の中にいる事になる(マタイ福音書12章40行)と言われました。
三日三晩ですと三日後に復活する事になり、三日目ではありません。
祭司長やファリサイ派たちの間違いが、正しいわけではないでしょう。
以前にネットで、この件について誰かの仮説を見た記憶があります。
その解釈では、イエスの処刑の時に起きた三時間ほどの夜(マルコ福音書15章33行)のような昼間を、ユダヤ式で一晩とすれば、三日目が三日後になる、という説明だったと思います。
イエスを陰府に連れ行こうと現れた、ラハブの起こした三時間の昼間の夜が、その長さから皆既日食ではなかった事は明らかですから、イエスは十字架上で生きながらにして、陰府での一晩を過ごしたとなっているのかもしれません。
そして現代人が関わる今の終末には、三時間程度とは比べられない、五ヶ月間の陰府の夜が訪れます(ヨハネ黙示録9章1~6行)。
イナゴという悪霊の群れ(レギオン)が、活動する事が許される時間です。
この時、宗教者たちはそのメッキを剥がされる事になるでしょう(使徒言行録19章15行)。
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリア(イエスの翼の方の象徴持ち=エルサレム)に御自身を現された。
このマリアは、以前にイエスに七つの悪霊(闇の燭台の象徴=エルサレムを堕落させた寝ずの番人たち、エレミヤ書15章6行)を追い出していただいた婦人である。
マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所へ行って、この事を知らせた。
しかし彼ら(弟子たち)は、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見た事を聞いても、信じなかった。
その後、彼ら(十二使徒)のうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、『イエスが別の姿で御自身を現された。』
(マルコ福音書16章9~12行)
マグダラのマリアは、イエスの昇天後にしか地上に遣わされないイエスの聖霊の御方の象徴持ちで、イエスの翼の方御自身ではありません。
見えざる方の存在を認識する為の象徴・写しです。
ですからイエスの昇天後はイエスが目の前から失われた為に、地上でその象徴の輝きが記録に残る程の事は起きませんでした。
イエスの存在が不可欠の象徴ですから。
そして実際にその翼の方と結ばれるイエスは、記載通りに別の姿という玉座の王の御姿で復活されています。
御霊の無い宗教者や研究者が、朝方暗かったから見間違えたなどと、肉の脳らしい不敬虔な事を流したりしていますが、光の信仰者はそれに惑わされたりしてはなりません。
ここにはダビデやステファノが見た、偉大な報せがあるのですから。
祭司長たちやファリサイ派たちと同じ霊の宗教者たちは、世に多く存在し、今も御心に無自覚に逆らっています。
真に耳ある者として、慎重に見極める事が求められます。
空間内の御使い・聖霊のサポートを得て、真の神の道に導かれましょう。
アーメン
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