20220420

土曜日に面接の予定を入れましたが、昨日になって今の会社に入る時に言われた、別の役所への転属が実現しそうです。

確定ではありませんが、決まれば本番前の、親孝行時間が出来るなと、御心に感謝ですね。

そういう配慮が成されると想定して引っ越したので、外れたと思い戸惑ってましたが、ウクライナ問題も次の勤務地の契約期間と同じく2年近く続くならば、八陽火としても逃れられない三年半を迎える事になります。

整ったとして。


こちらのブログでは、黙示録の七つの教会宛ての手紙と、福音書の闇の七つの権威と黙示録の光の七つの権威をして、第五番目は誉れと盗みの戦いと開示しました。

『誉れ』にとって『盗み』は並び立つ事の出来ない権威です。

主は聖書の中で盗みを忌み嫌われておられますが、その事とは別で誉れに盗みを向ける事は、終末における預言通りの衝突であり、この形においては白黒がハッキリする事が定まっており、盗みが微塵も誉れに受け入れられる事は出来ません。

また望んでもなりません。

自身の器に、わずかでも光が有るならば、玉座の王の七つの権威・栄光に、一点の陰もあるべきではないと、気付けるはずです。

そして自身の中のわずかな光が、「完全なる光の主にあって、私は盗みを受け入れた以上、誉れからは退き、自らこの件を失わなければならない」と目覚めるはずです。

玉座の王の権威の輝きに、自身のエゴで一点の曇りも生じさせてはならないと、真の信仰心で引き下がれるはずですから。

誰からも示されず、自身で気付いて祈り告白できていれば、御使いも「然り、その対価の失いは受理された」と、つむがれるはずですから、ゼロから残りの権威に新しく臨む事も不可能ではなかったはずです。

パウロもファリサイ派で築き上げた実践を、失って対価に支払う事で聖霊を受けているのですから、盗みの恩恵を失わずに次の導きに至る事は、全くあり得ないでしょう。

この事は示されずに気付き祈る事が最も大きい対価でしたから、今回のブログは権利を奪ったと非難されても、仕方ないと思っています。

最も、主の七つの栄光の全き輝きの為に、退かなければと思える者がいたとは、到底思えませんが。


彼(御使い)は言葉を継いだ。

「ダニエルよ、恐れる事はない。

神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉の為に私は来た。~」

(ダニエル書10章12行)


宗教指導によらず、聖書に従って祈り求める事を実践できる者は、幸いです。

そして何度も言いますが、誉れに対しての盗みは、主にあって何も成立を臨むべきではありません。

アーメン