20220423
まだ確定ではありませんが、転職は避けられそうです。
なので今日予定していた面接は、断りました。
ですが昨日の午前中に断った会社の方が、来月からの役所の警備でしたので、午後の勤務中に役所で会い勤務継続を打診されたのには、驚きました。
しかも今の日給より、二千円は高い金額でしたから、警備免許の価値を改めて実感しました。
今いる会社は、他社より安く入札して取るスタイルですから、仕方ありませんね。
とはいえ、今日面接に行っていれば、違う区役所でその会社から高い時給で勤務できましたから、少し複雑でもあります。
ですが、来月行く予定の場所なら、安くても両親と過ごす時間が増えますから、使命前に親孝行したいです。
孫の顔を見せられなかった事で、運命がある自分が生まれた事に、親に対し少し申し訳ない気持ちもありますから。
その頃、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。
弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。
ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい、あなたの弟子たちは、安息日にしてはならない事をしている」と言った。
そこで、イエスは言われた。
「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだ事がないのか。
神の家に入り、ただ祭司の他には、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。
安息日の神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだ事がないのか。
言っておくが、(建物の)神殿よりも偉大なものがここにある。
もし、『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という、言葉の意味を知っていれば、あなた達は罪もない人たちをとがめなかったであろう。
人の子は安息日の主なのである。」
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。
すると、片手の萎えた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
そこで、イエスは言われた。
「あなた達のうち、誰か羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。
人間は羊よりもはるかに大切なものだ。
だから、安息日に善い事をするのは許されている。」
そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。
伸ばすと、もう一方の手のように元通り良くなった。
ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにイエスを殺そうかと相談した。
(マタイ福音書12章1~14行)
次の光の宇宙とは違い、地上の国々には法律があり、必要です。
性善説には無理があり、自制心も人それぞれで強さが違うからです。
律法は神の道の歩みに至る、地固めにもたらされたと思われます。
神の道は預言者への道でもありますから、イエスが示された段階での前進を表す導きは、厳格な者ほど律法を守りながらも見えず、御心の本質に気付くことなく、預言者に至れず宗教者で底を打ち人生を終わる事になります。
救世主が生誕し、明らかにされていなかった御父と聖霊も証され、教えは次の領域に引き上げられたのですから、ただ漠然と従い守りぬくだけの者たちは、イエスの前に見事に退けられました。
人が知る天の領域と存在については、人はわずかな事しか知らないのですから、法則も暗黙の了解も異質な領域に至る為に、訪れたステップアップの報せを退けないよう、頑なな盲目の支配に注意しましょう。
アーメン
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