20220402

4月になりました。

苦手な冬も色々ありながら越す事が出来て、ホッとしています。

体調はまだ微妙で、男性の更年期障害ぽいなと感じながら、上手く遣り繰りしていくしかないなと思えてます。

目先の生活費も世界情勢も、ともに向き合って行くだけです。


「~あなたは、私(イエス)の右の手に七つの星と七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。

七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。~」

(ヨハネ黙示録1章20行)


イエスと七つの星で、二つのグループのケルビムを表しています。ゆえにその象徴たる権威も、八つとなっています。


天使たちは大声でこう言った。

「屠られた小羊は、力(エフェソ教会の天使)、富(スミルナ教会の天使の象徴)、知恵(ペルガモン教会の天使の象徴)、威力(ティアティラ教会の天使の象徴)、誉れ(サルディス教会の天使の象徴)、栄光(フィラデルフィア教会の天使の象徴)、そして賛美(ラオディキア教会の天使の象徴)を受けるにふさわしい方です。」

また、私(ヨハネ)は、天と地と下の海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがかう言うのを聞いた。

「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力(玉座の王イエスの象徴)が、世々限りなくありますように。」

四つの生き物(ケルビム)は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

(ヨハネ黙示録5章12~14行)


イエスは王として権力を御持ちで、数字としては八番目でその御力を表されています。

日曜日から土曜日までの七日間しかない地上では、表す事の出来ない八番目の太曜日の方です。

その太曜日は、光の宇宙に行く事でしか体験出来ず、ゆえに天地創造も七千年で終了し、ハ千年まで計画が至る事はありません。

必ずこの地上は終了し、地球における人間の時間も終わります。

空間内の自然界を司る上位存在たちも去りますから、後は太陽系の他の星々のように、ただの惑星となるか、それとも陰府のゆえに超新星と化すかの、天地創造完了の未来しかありません。

なぜならイエスは、光の宇宙に光の信仰者たちを連れ行く為に、創造主の肩書きを対価として失わなければならず、皆のために喜んでその偉大な名声を、対価に支払われるからです。

ゆえに光の信仰者も、祝福を得る為の対価の支払いを、恐れずに失える心の準備が重要になります。


イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。

そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。

「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。

あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

(ルカ福音書21章1~4行)


神の秤は、対価とのバランスを必ず量ります。

宗教者たちが献金額に態度を見合せるのを見ても、イエスの教えにおいて顔を伏せる必要はありません。

そもそも宗教への献金は自己満足でしかなく、御父も御子も聖霊も関係がないからです。

宗教に信仰者を集めるなどとは主は約束されておらず、それぞれの宗派はイエスのファンクラブの御祈りグループでしかありません。

自分で福音書を読めば、イエスが神殿を肉体とし否定しており(ヨハネ福音書2章13~22行)、また祈りも奥まった部屋でシンプルに祈るよう教えられている(マタイ福音書6章1~13行)事が分かります。

それでも忙しい日常に飲み込まれずに、聖書から離れない様にする為には、ファンクラブ活動も意味があるかもしれませんが、宗教には真の祝福の対価を約束は出来ないという事実を頭の片隅に持って、冷静に続ける必要があります。

イエスもペトロたちも群衆の中に入ると、一般服から顔を知らない者には区別できなかったのが事実ですから、肉の目に訴える目印を用いなかった事実を、受け止めなければなりません。

イエスも十二使徒たちの誰も、律法学者やファリサイ派サドカイ派のように、宗教者として活動されたつもりは全く無いのですから、宗派の違いではなく根本的に宗教ではなかったという視点に目覚めなければ、世に退けられた真の意味は見えてきません。

福音書のイエスの導きに、帰結しましょう。

アーメン