20220321

三連休は二日間が雨です。

花粉が少ないのはプラスですが、日曜日だけわずかに晴れでは、ガッカリです。

とはいえ予報で分かっていたので、昨日は阿蘇に行って来ました。

車が多く、普段よりも坂道で煽られ、リフレッシュよりストレスになり、今回の休みは微妙な感じで終わりましたね。

明日から仕事ですが、蔓延防止が解除されましたから、マスクしない客(特に男)が増えそうで、声掛けにナーバスになりますね。

それが仕事ですから、着用をお願いするしかありませんが。


「~命を与えるのは『霊』である。

『肉は何の役にも立たない。』

私があなた方に話した『言葉は霊』であり、命である。~」

(ヨハネ福音書6章63行)


「~人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、『霊』に対する冒涜は赦されない。

人の子に言い逆らう者は赦される。

しかし、『聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦される事がない』。」

(マタイ福音書12章31、32行)


このブログでも繰り返し言ってますが、限りある肉は永遠の霊とは並び立ちません。

創造主であるイエスですら、自身の創造物である肉を否定し、人が霊的な天の存在に成る為の通過点と報せています。

そしてそこに至る為に欠かせないのが光の聖霊で、聖霊を退けたり拒絶したりすれば、光の宇宙である後の世に入る事が出来なくなります。


「~多くの水の上に座っている大淫婦(ラハブ)に対する裁きを見せよう。

『地上の王たちは、この女とみだらな事をし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった』。」

~女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。

その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たち(闇の聖霊)や、地上の忌まわしい者たち(闇の権威者)の母」という名である。

私は、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。

(ヨハネ黙示録17章1~6行)


イエスの証人たちの最も代表的な者は、イエスに水の洗礼をし、御父の翼の方からのイエスへの祝福に携わった証人、バプテスマのヨハネです。

ですから彼はラハブのしもべサロメに狙われました。

レビ記に血には命が宿っていると主の言葉があるように、ラハブは聖なる者たちの血を集めているようです。

自らの霊の性質である闇を、光に変える為に欲しているのか、理由は分かりませんが、光の信仰者はこの強大な敵に飲み込まれないように、常に御言葉に繋がり続けなければなりません。

安易に闇の権威を引き寄せて利用しようとしても、上位存在の壁に阻まれ、地上での事は地上で清算をとなるだけですから、福音で退けられるなどと過信して試みたりしないで、始めから闇の誘惑は退けましょう。

誰がその遣いの者なのかは、明白なのですから。

アーメン