20220309
日曜日の阿蘇山で、十分に光を受けられ霊力が戻った感じで、空間を感じられます。
引っ越しに集中して先送りにしていたので、久々の感覚で主の怒りは最もだと思えました。
あれほどの強さのめまいと吐き気も、当たり前ですね。
最も、八陽火だけが受け取るメッセージではありませんでしたが。
地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前はいて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。
ここに知恵のある考えが必要である。
七つの頭とは、この女(淫婦バビロン=ラハブ)が座っている七つの丘の事である。
そして、ここに七人の王がいる。
五人は既に倒れたが、一人は今王の位についている。
(ヨハネ黙示録17章8~10行)
今回、プーチンが早々と倒れるなら七人の王の一人で、闇の燭台の第五番目の者かも知れません。
預言にある七人の王のうち五人が倒れるのは、第一時間から第五時間での決着がつき、用済みとして倒れるものと考えられますから、第六時間に入る前にプーチンが終わる印しとなるかもしれません。
先月、千鳥足となった八陽火と同じく、プーチンも映像で足取りがおかしいと、指摘をされていました。
プーチンと会った事のある海外の数人の政治家が、彼は変わったと発言しているのも聞きました。
この数年のコロナ死者と、今回の戦争や中東とアフリカの死者で、陰府が膨張し活性化している感じがします。
闇の聖霊たちがイナゴに先駆けて、上空を駆け巡っているのではとも思え探っていますが、ラハブの娘たちの気配は感じられず、ハ陽火の近くに戻って来てはいないようです。
ですが、プーチンの近くについては分かりませんが、七人の王の一人なら、闇の燭台の五番目の闇聖霊が操っていたとしても不思議はありません。
空間内の見張りの者たちは、ハ陽火と盗賊団を神の秤に掛けました。
日曜日から数日、光と闇の見張りの者が訪れたはずです。
掛けられた部分は告白で、盗賊団が教会や知り合いの中で、盗賊行為を告白できていれば、ハ陽火の告白に優ると見なされて、担当の寝ずの番人は退けらたはずです。
告白なく献金を受け取ったり、主に祈りを捧げていれば、光の見張りの者は沈黙のまま何もなく去っています。
ハ陽火は以前から、「盗み得た」「盗み見た」と告白を聞いてますので、ハ陽火が聞く必要は全く無い告白ですが、見えない所で連動が起きて成されていれば、それは直視しなければならない事となります。。
ですが、きっと想像の通りに過ぎ去ったはずでしょう。
これを見た後で行っても、ハ陽火の告白に優る秤の傾きは得られませんから。
以前にも触れたかも知れませんが、イソップ寓話に北風と太陽があります。
どちらが偉いかを競い、旅人の着物を脱がせたほうが勝ちという、勝負が始まります。
先行の北風は、強力な風力で旅人の着物を吹き飛ばしてしまおうとしますが、旅人は全力でそれを阻止してしまいます。
そして太陽の番となり、太陽は普段通りで程よく気温を上げ、旅人は暑さから自ら着物を脱ぎ、太陽が勝負に勝ちます。
これの話は信仰をよく表しています。
闇は力ずくで奪い取りに襲いに来ます(マタイ福音書11章12行)。
盗み得るのも常套手段です。
ですが光はイエスが語られた通り、探し求め門を叩けば、開かれ受ける事が出来ます(マタイ福音書7章7~12行、)。
イエスの福音を給水所で例えると、預言者と僕がボランティアスタッフで配布しています。
欲しいと思い並ぶ者は給水して貰えます。
ですが行列を嫌い忍耐の無い闇の権威者は、先に貰った者を誘惑して高値で買い取ろうとしたり、先頭の場所を金で譲って貰おうとします。
また無料配布にも関わらず、スタッフの目が離れたスキを伺い盗んだり、転売目的で必要以上に得ようとします。
それを空間内から観察するのが見張りの者たちの仕事です。
闇の権威を受け入れ、寝ずの番人に担当された者は、北風の選択にとらわれます。
ですから何年経っても、盗賊団に進展はありません。
太陽の視点は閃かないように導かれるからです。
盗賊団が知識の実を食べる前のアダムに重なり、戦略なく素直に正面からノック出来ていれば、それにハ陽火は門を閉ざせませんでした。
なぜなら我が王は、心が裸でシンプルに正面から来る者には、与えられる方ですから、盗賊団が王を動かす素直さを見せていれば、ハ陽火は追い詰められていました。
そのような場合に来た者を退ければ、王の逆鱗に触れるのはハ陽火ですから。
聞いて出来る者ではなく、無心で選択出来る者は、心が整った恵まれた者です。
寝ずの番人が戦略性や狡猾さを伴っての、駆け引きでの勝利に導くのは、ルシフェルとラハブへの謁見に導くためのものです。
無策で賄賂も土産もなく、ゲーム性もない駆け引きでは、ルシフェルとラハブは会いません。
北風のスタイルに固執させられ、太陽の視点での自然体の攻略を実行できないのは、盗みの権威に盗賊団の心が最初に盗まれているからです。
知識の木の実を使えない時のアダムを、I.Qが低く期待出来ないとみるのではなく、創造主の真の初期設定で心が裸の幼子と気付ければ、御心に真に適った者として、エデンのアダムならどう考えるだろうかと、常に習える者として心構えが出来るでしょう。
アーメン
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