空間内が慌ただしい日

日曜日の夕方、殺生石という石が割れているのが確認された、というニュースを見ました。

記事では殺生石とは、室町時代の文献に、九尾の狐が美しい女に化けて、鳥羽上皇を殺そうとしたが陰陽師に退けられ、那須まで逃げて退治され石になったとあります。

が、その石は毒気を放ち多くの生き物が死んだために、殺生石と名付けられたそうです。

記事前日の更新での、ラハブを扱った事が連動に感じられ、タイミングに象徴的報せを覚えずにはいられません。


さて、昼の十二時に、全地は暗くなり(ラハブ=陰府の一部であり、底知れぬ淵の煙)、それが三時まで続いた。

三時頃、イエスは大声で叫ばれた。

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」

これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。

~イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。

その時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの身体が生き返った。

(マタイ福音書27章45~52行)


イエスの処刑の時、ラハブが現れ陰府に連れ去りました。

そして岩が避ける印しもあり、ペトロ=岩の福音の部分(マタイ福音書16章18行)からも、イエスという岩=教会が避けた事で、イエスの死を象徴しています。

殺生石は石とありますが、実際は大人数人で取り囲めるほどの岩ですから、避けて数日と見られている事からも、木曜金曜のタイミングだろうなと見ています。

八陽火が土曜日の更新で、ラハブの代弁解釈に触れようと思ったのもその辺りでしたから、誘導された可能性を否定できません。

上位存在の力に手玉に取られてる感じで、やはり大いなる穢れの取り扱いには、慎重な決断が求められると思わされます。

イエスの死の直前の言葉も、その恐ろしさが分かるがゆえのものでしょうから。

あらゆる栄光を汚して覆い尽くし、輝きを損なわせて奪い取る力ですから、光の信仰者にとっては祝福を汚されて台無しにされないよう、かなりの注意が求められます。


今日は良い天気から阿蘇に行き、野焼きで黒い山となった阿蘇を見ました。

下の町では、風と共にススキの灰が雪のように舞って降っており、ブログを書きながら黒い煙の到来を予兆してるのかと、思い出されています。

今日は神の秤において、見張りの者たちが動いているはずですから、しばらくは集中力を欠く事の出来ない日々が続きそうです。


ハレルヤ