20220221

寒いです。

去年今年は寒く、暖冬暖冬と言っていた時が懐かしいです。

土曜日は雨でしたから、昨日こそで阿蘇に行こうと思いましたが、夕方には氷点下の予想で道路凍結が怖く、諦めました。

明後日の祝日も気温は低いようですから、今週の土日に期待です。

来月6日には阿蘇で野焼きが始まり、交通規制も行われるようですから、その前に今のススキの見納めをしたいので。


「はっきり言っておく。

羊の囲いにはいるのに、門を通らないで他の所を乗り越えて来る者(宗教指導者)は、盗人であり、強盗である。

門から入る者が羊飼い(預言者)である。

門番(御使い)は羊飼いに門を開き、羊(光の信仰者)はその声を聞き分ける。

羊飼いは自分の羊を呼んで連れ出す。

自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。

羊はその声を知っているので、ついて行く。

しかし、他の者(宗教指導者)には決して付いて行かず、逃げ去る。

他の者たちの声(聖霊不在の言葉)を知らないからである。」

(ヨハネ福音書10章1~5行)


福音を退けず、イエスの導きに従う者は幸いです。

聖書において、神もイエスも盗みの力を否定され退けられています(ゼカリヤ書5章1~4行)。

光に仇なす闇の権威ですから。


「求めなさい。

そうすれば、与えられる。

探しなさい。

そうすれば、見つかる。

『門を叩きなさい。

そうすれば、開かれる。』

誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者には開かれる。~」

(マタイ福音書7章7、8行)


真に七つの教会に集える者たちは、イエスの導きに従い当たり前の事が出来ます。

幼子のように正面からノックし、普通に入れる事ですから。

高価な対価や献金を求められた訳でもなく、または問答無用で退けられたり、もったいぶられたり渋られたりしたわけでもなく、試みらずにノックする事なく盗み得るを最初から選択する者たちは、災いです。

真理や霊が諸教会に伝える事を、正当で無い方法で得る事に酔いしれた者たちは、神の秤と光と闇の見張りの者たちに、相応の判断を下される事になります。

数千年も空間内で働いている上位存在ですから、侮る者たちには同情の余地も必要ありません。

ハ陽火と聖書開封に一度もノックせず、ひたすら盗み得るに没頭し続けたのがキリスト教徒盗賊団ですから、聖霊と御使いの導きから退けられ、寝ずの番人に取られるのも当たり前です。

無償開示で得てさえいれば、正当な導きに至れたというのに、簡単な事ほど難しいものです。

誰も善悪の知識の実を食べる前の、素直なアダムとエバには及びませんから。

彼らは創造主の御心に適う、初期設定ですから、そこに幼子の心と、イエスが来させなさいと弟子たちに命じたぶれない本心があります。

ですが人々は知識の実を食べた変化したアダムとエバに親近感を覚え、さらに実の力を引き出した世の勝ち組や大商人たちに憧れます。

イエスの福音に忠実で退けない信仰が求められています。

宗教組織への忠誠心を示す宗教心と信仰心を混在せず、真に光への信仰心に向かえる者は幸いです。

アーメン