20220206
先週はまさに忍耐の一週間でした。
早く引っ越したいので、今週が待ち遠しかったです。
仕事もここへ来て、リーダーの向上心とドSにウンザリしてきて、早く終わってほしいですね。
八陽火は善悪主義者的ですから、リーダーと違い何が何でも職員の味方という気はないので、内容に関係なくお客様を敵視するのが難しいです。
そもそも職員だって、嘱託を仲間と思わず下に見ている人もいますし、変なヒエラルキーがあるのも事実ですから、工場よりも体調が悪い人が多いのも、来てみて分かる意外だった社会性でした。
I.Q的には優秀な方々でも、目が開いて信仰に目覚めてなければ、競争社会の中の優劣が真理なのかなと、哀れにも思えます。
自由の使い方が、本能的な反応になりがちですから。
これはこれで人生の対価を得てるのですから、飢え渇きが欲望的種類では、得たいの知れない空間で生きてる事も、何も感じる事は無いのでしょう。
肉眼と肉の耳と肉の舌と土の器の皮膚だけが、感知できる世界が全てになってしまいます。
ハレルヤ。
新しい歌を主に向かって歌え。
主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。
イスラエルはその造り主によって喜び祝い、シオンの子らはその王によって喜び踊れ。
踊りをささげて御名を賛美し、太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。
主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる。
主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み伏していても、喜びの声を上げる。
口には神を崇める歌があり、手には両刃の剣を持つ。
国々に報復し、諸国の民を懲らしめ、王たちを鎖に繋ぎ、君侯に鉄の枷をはめ、定められた裁きをする。
これは、主の慈しみに生きる人の光栄。
ハレルヤ。
(詩編149章)
第七時間終わりの、最後の審判です。
小羊の七つの御言葉の第七番目、賛美(ヨハネ黙示録5章12行)もあり、第七と再使命の十四万四千人の歌と分かります。
そして地上目線の勝利者たちは、主の前に退けられます。
創造主が人生を歩くよう人に求められてる部分は、ありふれた日常にこそあるのですから。
当たり前の日常の中で、感謝を持って祈り求めましょう。
宗教に属して宗教的にまい進しなければというのは、目覚めてない脳の誤魔化しです。
イエスの報せを信じぬいて(マタイ福音書6章5~13行)、御父の御心に叶い御手をのばして頂きましょう。
アーメン
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