20220122
夜中、いきなり携帯から地震警報がなり、その後大きめの地震がありました。
夜中なので数年前の熊本地震を思い出しました。
ですが前ほどではないと直ぐに分かり、トイレに行って直ぐに寝直しました。
近隣からは携帯の警報が聞こえませんでしたから、地震よりもそちらの方が気になりました。
マナーモードの目覚ましが隣から聞こえるくらいの壁ですから、自分の携帯だけが鳴った感じで、実際に地震が来るまでは迷惑かけた気分になりましたね。
今日も部屋の内見に行って来ました。
鉄筋コンクリートで、陽当たりも良く非常に気に入ったのですが、やはりスクーターの駐輪で断念でした。
他の物件も、スクーターか予算の関係で厳しく、今日も何度も心の浮き沈みが起きましたね。
明日は雨のようですが、明日も内見はあります。
明日で決まってくれれば、少しは頭もクリアになりますが、本当に願うばかりです。
仕事にも支障が出てきてますから。
「その日、その時は、誰も知らない。
天使たちも子も知らない。
ただ、父だけがご存じである。
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。~」
(マタイ福音書24章36~39行)
キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちの所へ行って宣教なされました。
この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちです。
この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。
(ペトロの手紙3章18~20行)
七つの教会(七つの籠)の時は、使徒たちの十二教会(十二の籠)の時とは意味が違います。
ゆえに双方は時代が被らないのです。
イエスと七つの教会(箱舟の八人の象徴)の時間は、寝ずの番人や獣と偽預言者という、明確な敵が出現する時間です。
強い闇の権威への抵抗が必要になります。
モーセも死の神殿ピラミッドを崇めるファラオと向き合い、アロンの光の蛇が、魔術師の闇の蛇に勝ちました。
使徒言行録の聖霊と使徒たちに魅せられて憧れても、神の御心が今はその時代であるとは示されてはいません。
ハッキリとした闇の権威者という、ペトロたちの時代にはいない明確な闇の使徒が現れる時間ですから、黙示録預言を真に受けとめ、空間内も地上も荒れる報せを携えなければなりません。
これが過ぎるまでは、宗教ゴッコの青春は休止です。
今の終末は百年前や千年前とは違うのです。
教職者がペトロたちに憧れるエゴを、追及出来る時間ではありません。
黙示録を預言として見れる目覚めの最初の一歩に、まずは気付く事から始まります。
アーメン
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