20220119
トンガの火山噴火映像を見ました。
黒い噴煙が瞬く間に上がり、まるで
黙示録の第5のラッパさながらでした。
最もあちらは星の落下によって底知れぬ淵が開き、煙によって空が暗くなるというものですが。
時の報せを予感させずには要られない出来事でした。
新型コロナが爆発的な感染力で拡がっています。
今日から熊本も蔓延防止が適用され、対応する課は慌ただしかったです。
警備も発熱を訴えるお客様もいて、濃厚接触者になる可能性も出て、大変でした。
少々メンタルに難のある方の発言でしたし、今日も担当課に話し合いに来ていたので、とりあえずは感染者ではなかったようですが、困ったものです。
今の仕事に就いてから、脳が微妙なラインにある方たちに多く会いますが、言葉に恵まれないからなのか、頭に血が上ると「刃物を持ってきて刺してやる」と簡単に言うので、本当に厄介だなと思わされます。
刑務所に入った元国会議員が著書で、受刑者の半分以上は知的障害者だったと言っていたと聞きましたが、職員や民生委員に見つかってない人たちと、見つかっている人たちの違いを覚え、理性の弱さや善悪の判断力を求められない事に、創造主にお伺いを立てたい気に駆られもします。
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。
本人ですか、それとも両親ですか。」
イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。
私たちは、私をお遣わしになった方の業を、まだ日のある内に行わなければならない。
誰も働く事の出来ない夜が来る(夜の王と寝ずの番人の時間)。
私は、世にある間、世の光である。」
(ヨハネ福音書9章1~5行)
この後イエスは、自身の唾でこねた土を盲人の目に塗り、『遣わされた者』という池で洗わせ、盲人は見えるようになりました。
印し事態は過去に何度も言っている通り、アダムの目を創造された時の再現で、創造主の証しとして成された事ですが、今の仕事に就いてから頭を過るのが、聖霊持ちのテストとして健常者でない方たちは在るのだろうかというものです。
お伺いを立てた事は無いので、事実は分かりませんが、こねた土を塗っての癒しが、人ではなく空間内の昼と夜の見張りの者たち向けであった事を思うと、試みとしてあり得る可能性を否定しきれません。
人々への愛についても、黙示録時間まで見張りの導きの者たちに、愛を持てと強く訴えているように感じられ、現在までの2000年期間に強い期待を込めて、3年半を活動されたように思えて来るからです。
ですが歴史を見るかぎりでは、ヨブ記冒頭のサタンのように、ダメ出しで裁きという流れから変わらなかったように感じますが。
第5のラッパのイナゴは、神の刻印の無い者の器に入り、その者を苦しめます。
人の目線から見て、不可思議な関係と命令が見受けられます。
空間内の法則は肉の存在には計り知れませんが、御心のままにと受け賜える者は幸いです。
アーメン
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