20220116

先週に続いて、今度の連休も隣人が休みで静かに過ごしてます。

今は難しいのが分かっていても、こうなるとやはり部屋を探してしまいます。

ワンクッション挟んでもいいと思って、本命でない物件も外から見てみましたが、既に部屋は埋まっていて情報ミスで、不動産屋の怠慢に振り回されました。

次の更新で親が原付きの免許を返納するみたいですから、それも考慮に近くに引っ越さなければならず、狭い範囲での条件には運も必要になって来ますね。

自分はイエスと違い一人っ子ですから、本番が来たら使命優先の現実になり、最後までの親孝行は果たせないだろうと、常に頭を悩まされています。

イエスの場合は兄弟はいましたが、母マリアは共にあって最後は弟子のヨハネに託す形になりました。

母マリアが他の子供たちを故郷においても、イエスについて行った理由はわかりませんが、実の肉の兄弟よりも霊における家族のヨハネに預けられたのは、イエスの優先順位を明確にかんじられます。

最もヨハネも聖霊を受け使命本番となり、イエスの母マリアを最期まで引き受けられたのかは不明ですが。


イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したい事があって外に立っていた。

そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。

しかし、イエスはその人にお答えになった。

「私の母とは誰か。

私の兄弟とは誰か。」

そして、弟子たちの方を指して言われた。

「見なさい。

ここに私の母、私の兄弟がいる。

誰でも、私の天の父の御心を行う人が、私の兄弟、姉妹、母である。」

(マタイ福音書12章46~50行)


光の信仰者の未来は、肉の器を失い神々となるもので、いずれ必ず身体のすべてを、霊体とする宿命にあります。

最もこれは悪霊になる者も同じですが、霊の性質を光エネルギーか闇エネルギーとするかで、性質が決定する未来に至ります。

人間のあいだは光型の者も闇型の者も、肉として同じフィールドに人として生きますが、霊体になるとその違いは肉における人種の違い以上の生命体の違いとなり、完全な別な物となるからです。

イエスは未来思考で死を迎えて終了する血統の絆よりも、永遠に続く霊統の絆について約束されています。

闇の権威を退け、御使いを導きの担当者とする者に成りましょう。

アーメン