20220110
土日は部屋の下見に行って来ました。
かなり楽しみにして、月末には公営住宅のような物件に入れるかもと期待してましたが、残念ながら年末年始からのテンションは砕け散りました。
連休は内見と検索にほとんどの時間を費やしましたが、範囲を拡げても納得行く物件はなく、もう今日は朝からクタクタです。
5月にまた転職の可能性もあり、敷金礼金無しでも3万円位の物件が、引っ越し代を含めて15万円前後かかりそうと分かり、見積りから春まで保留という事で諦めました。
年末年始から今回の連休も入れてプライベートを犠牲にして来ましたが、まあこれも人生でしょうか。
隣ともまだ数ヶ月付き合わなければならないようです。
仕事場も自宅もストレスの対象というのは、本当に疲れます。
冬なので阿蘇にも避難できず、コロナのせいで図書館も使えず、近場の湖では寒いのにトイレ工事となり、ついついユーチューブで軽自動車キャンピングを見てしまいます。
まあ買えませんし、運転するにはしばらく練習が必要となりますから、見るだけの楽しみですが。
それにしてもスクーターの駐輪に、本当に苦労させられます。
この2年間、部屋が気に入ってもスクーターが置けなかったり、大家さん的には駐車場代込みの家賃設定だったりと、足がバイクだけだとこんなに苦労するとは思いませんでした。
地方では移動に車かバイクは必須ですし、親の灯油のための足元のあるスクーターですから、不便なツーリングを含め中々解決しない忍耐です。
それでも一つ一つ消化して行くしかありませんが。
今述べている事の要点は、私たちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座につき、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるという事です。
すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。
それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。
もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。
『この祭司たちは天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、その事は、モーセが幕屋を建てようとした時に、御告げを受けた通りです。』
(ヘブライ人への手紙8章1~5行)
ペトロたち十二使徒こそ、まさに写しです。
そして今の時間の写しは、七つの教会に在ります。
光の燭台に、聖霊の火が灯され、照らし出されますように。
アーメン
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