20220107

年末年始は6日でしたが、年なのか仕事開始から2日目で風邪をひきました。

休みの3日目から毎日1時間近く歩いてたのですが、それでもサイクル変化の影響はあったようで、体調管理の厄介さを痛感させられます。

コロナも第6波が来そうで、インフルエンザと花粉にも注意しなければならず、突発的に休めない仕事の融通の無さに、早く無駄なストレスを解消して行こうと、まずは引っ越しに今月は集中ですね。

それで空間内の、寝ずの番人たちの干渉から逃れられるという、保証があるわけではありませんが。


イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。

イエスはその人に言われた。

「誰にも話さないように気をつけなさい。~」

(マタイ福音書8章3、4行)


~イエスが二人の目に触り、「あなた方の信じている通りになるように」と言われると、二人は目が見えるようになった。

イエスは、「この事は、誰にも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。

(マタイ福音書9章29、30行)


大勢の群衆が従った。

イエスは皆の病気をいやして、御自分の事を言い触らさないようにと戒められた。

(マタイ福音書12章15、16行)


汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。

イエスは自分の事を言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

(マルコ福音書3章11、12行)


イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。

「なぜ、泣き騒ぐのか。

子供は死んだのではない。

眠っているのだ。」

人々はイエスをあざ笑った。

しかし、イエスは皆を外に連れ出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。

そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。

これは、「少女よ、私はあなたに言う。起きなさい」という意味である。

少女はすぐに起き上がって歩き出した。

もう十二歳になっていたからである。

それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。

イエスはこの事を誰にも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

(マルコ福音書5章38~43行)


~イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけて舌に触れられた。

そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。

これは、「開け」という意味である。

すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、ハッキリと話す事が出来るようになった。

イエスは人々に、誰にもこの事を話してはいけない、と口止めをされた。

(マルコ福音書7章33~36行)


イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。

その途中、弟子たちに、「人々は、私の事を何者だと言っているか」と言われた。

弟子たちは言った。

「洗礼者ヨハネだと言っています。

他に、エリヤだと言う人も、預言者の一人だと言う人もいます。」

そこでイエスがお尋ねになった。

「それでは、あなた方は私を何者だと言うのか。」

ペトロが答えた。

「あなたはメシアです。」

するとイエスは、御自分の事を誰にも話さないようにと弟子たちを戒められた。

(マルコ福音書8章27~30行)


イエスは生誕前に御父から受け賜られた御言葉を渡す事を、自身よりも優先されました。

また復活やいやしといった大きい印しや、メシアである事実によって、世の権威者たちのように祭り上げられる事も危惧されました。

イエスかサタンかの、光と闇のどちらに集うかの選択地上世界で、サタンとの明確な違いを示すために、スター化やファラオのような権力者像を拒絶されて、無学な一般人を貫かれました。

謙虚さ敬虔さだけではないメッセージが、ここにはあります。

ですがイエスの思いとはうらはらに、観衆だけでなくいやして頂いた者たちすら、イエスの戒めを退け、敵の前でもその奇跡を大胆に伝えてしまい、激しい憎悪の対象になりました。

預言者を超える救世主の苦悩は、あの方だけにしか分からないものです。

だからこそ、その気持ちが分かる者となれる者は幸いで、光の資質に目覚められるはずです。

アーメン