20211229

やっと休みになりました。
カレンダーを見て、秋ぐらいから待ち遠しかったので、ホッとしています。
ですが来年の四月には、また転職の可能性もあり、場合によっては夜勤も見据えての部屋探しをしなくてはなりません。
三月は引っ越し便が混むので、二月末までには移動したく、年末年始は部屋の下見と荷造りに追われそうですね。


弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。
イエスはそれに気づいて言われた。
「信仰の薄い者たちよ(聖霊無し)、なぜ、パンを持っていない事で論じ合っているのか。
 まだ分からないのか。
 覚えていないのか。
『パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか(十二の籠=十二使徒の教会)。
 また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか(七つの籠=黙示録の七つの教会)。』
 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。
 ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の教えのことだと悟った。
(マタイ福音書16章5~12行)


聖霊を受ける前の弟子たちは、現代のすべてのキリスト教徒と変わらない状態でしたから、イエスに付いて来ていても、教えの本質が直ぐには見えませんでした。
このときも、どの点についての注意なのかは分かっても、どう危険なのかは分からなかったはずです。
聖霊不在ですから、御霊による然りに至る事が出来ませんので。


そこで、十二人は弟子たちをすべて呼び集めて言った。
「私たちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。
 それで、兄弟たち、あなた方の中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
 彼らにその仕事を任せよう。~」
(使徒言行録6章2~4行)


ヨハネがまだイエスの黙示を受ける(ヨハネ黙示録)前、聖霊を受けていた十二使徒たちは、約二千年後の終末計画とは知らずに、七つの籠の信仰者集めを自ら組立てました。
印しとしてステファノの昇天があり、預言とはなりましたが、七つの籠の本番は現在であり、ステファノたちの事は自由の中で成立した一ページであり、この事には間違いも正解もありません。
約二千年前に注意を促された、ファリサイ派やサドカイ派のような的外れの教えは、今やカトリックやプロテスタント等々の、異端を含むすべてのキリスト教に広がっており、七つの教会はノアの時のように御霊の無い時代の人々と対峙することになります。
ノアの家族のように、男四人、女四人の正当セラフ候補が難しい時代ですから、反発は必至でしょう。
大洪水前の寝ずの番人の大家族は、一族もろともに地上より浄化されましたから。
そうならない為にも、教えの本質の理解が重要となります。
イエスはサタンと違い、ミーハーな支持を求めてはおられませんし(イエスを主と認めても悪霊は陰府行き・レギオン)、ヨイショよりも光の本質が如何に闇に優っているのかこそ、真の賛美となり理解が信仰と育つのですから、聖霊を受けて自らの神殿作りに神の道を歩む者は、確かに御国に至るのですから。
主への信仰を言う事は出来ていた、ファリサイ派とサドカイ派の過ちの道に陥らないよう、正しいパン種を見分けられるように、祈り求める者は幸いです。
アーメン