20211223

ワクチン効果で、今週はバテてます。
昨日は栄養剤を朝から飲んで行きましたが、変なリズムの動悸にやられ、接種した事を後悔しました。
接種証明のために打っただけなんで、もう三回目は勘弁ですね。


預言者イザヤの言葉が実現するためであった。
彼はこう言っている。
「主よ、誰が私たちの知らせを信じましたか。
 主の御腕は、誰に示されましたか。」
彼らが信じる事が出来なかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。
「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。
 こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。
 私は彼らをいやさない。」
イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。
ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。
『彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。』
(ヨハネ福音書12章38~43行)


聖書の御言葉を宗教体系に変換してしまう者は、聖霊を得られない道を歩んでいます。
イエスの伝説を知って、スター化して忠誠を告白するキリスト教徒は、ただのファンであって信仰者とは明確に心理が区別されなくてはなりません。
主の伝統的古参ファンだったファリサイ派サドカイ派のユダヤ教徒たちは、ファン心理での支持者で信仰が育っておらず、ゆえにイエスの御言葉理解から退けられました。
神の道を歩んで預言者を目指さない者は、ファン心理の支持表明者であって、真の信仰を育てる事は出来ず、御心においても助け手である聖霊が遣わされる事はありません。
宗教化した団体は、ただのイエスのファンクラブですから、クラブの拡大活動に御霊の働きがないのは当然の結果で、全く不思議はありません。


「あなた方は、私を愛しているならば、私の掟を守る。
 私は父にお願いしよう。
 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。
 この方は真理の霊である。
 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることが出来ない。
 ~弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方にすべての事を教え、私が話した事をことごとく思い起こさせてくださる。~」
(ヨハネ福音書14章16~26行)


社会でいかなる立場の者らであっても、その集いに聖霊か聖霊持ちが在られなければ、ただのイエスのファンの集いでしかありません。
このブログは、『霊が諸教会に伝える事』を軸にしており、告白通り十四万四千人向けですから、容赦なく空間内の者との語らいのようにも開示しています。
旧約の預言書も、人が理解できるかを視野に入れてないことは明白ですから、神の道における歩みをファン拡大運動の宗教と同じに見るべきではありません。
似て非なるものですから、それに目覚められない事に危機感を覚えられるよう、最初の一歩の恵みを渇望するべきです。
アーメン