20211120

土日の休みを待ちわびていました、八陽火です。
先週は気持ち的な休息がなく、余裕がないまま月曜出勤となったので、本当に今日は追われる事なく休めました。
今週は仕事的には、要注意のクレーマー型の市民の対応に追われ、自分も職員も暴言を吐かれても、退庁するまではコバンザメのように見届けました。
エレベーターで二人きりになる時もあり、本当に嫌でしたが、報告書作成のために放置する事もできず、役割を何とか全うできたと思えます。


お出でになる方々は、圧倒的に普通の方が多数なのですが、担当課の存在から心身に支障をきたしている方も少なくありません。
また年齢的に老いからくる症状で、会話や移動に難がある方も多く、高齢化社会ならではの気の使い方が求められます。
その中で、警戒対象として注意している方々がおり、今週はその言い分をラジオのようにに聞かされたため、精神汚染を感じさせられる不快感に襲われました。
同じ感覚で罵詈雑言が頭をよぎり、汚れた言葉に自身の霊が染まらされそうな衝動でした。
ですが信仰の無い同僚は、普通に呪いの言葉を吐き出して、同意を求める会話を求めますから、聞かされる死などの言葉の汚れを退けるのに、仕事仲間にも苦労させられました。


仕事柄、多くの人々を見ますが、普通の方々より厄介な人の方が記憶に残ります。
そういう厄介な人々や盗賊団が、人間の代表ではないと分かってはいるのですが、改めて人間という存在には興味がわかないなと、痛感させられます。
個人の感情としては興味が持ちにくいですが、使命としては向き合うのがさだめですから、本当にモチベーションが大変に難しいです。
神の道を上る十四万四千人が、本当に待ち遠しいです。
そして千年王国に至れる、セラフ・ケルブ候補の民たちもです。


~私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数えきれないほどの大群衆(善を選択した肉の器の種類がバラバラな者たち)が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声で叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊のものである。」
また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。
「アーメン。
『賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力』が、世々限りなく私たちの神にありますように、アーメン。」
すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を着た者たちは誰か。
 また、どこから来たのか。」
そこで、私が、「私の主よ、それはあなたの方が御存じです」と答えると、長老はまた、私に言った。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血(霊)で洗って白くしたのである。
 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。
 玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。
 彼らは、もはや飢える事も渇く事もなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲う事はない。
 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭われるからである。」
(ヨハネ黙示録7章9~17行)


肉の器の種類および文化に関係なく、光の権威と善なる選択に満たされる者たちが、現れるのを心待ちにしています。
預言にある民たちが、八陽火が未来に向かえる希望の一つでもあります。
王の創造物たる人間の輝きが、取り戻されると確信しています。
アーメン