20211105

弟子たちはイエスに近寄って、「なぜあの人たちには例えを用いてお話しになるのですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「あなた方には天の国の秘密を悟る事が許されているが、あの人たちには許されていないからである。
 (御霊を)持っている人は更に与えられて豊かになるが、(御霊を)持っていない人は持っているもの(自身の魂)までも取り上げられる。
 だから、彼らには例えを用いて話すのだ。
 見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである(聖書を宗教と結びつける者たち)。
 イザヤの預言は彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。
 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見る事なく、耳で聞く事なく、心で理解せず、悔い改めない。
 私は彼らをいやさない。』~」
(マタイ福音書13章10~15行)


八陽火は創造主の作品である人間たちを、今も見極めたいと見届けていますが、人間自身には抗えない支配力が、個々に設定されていると感じてなりません。
自由を持ってはいるが、同時に人間という生物としての縛りの中にもあり、真理に対して越え難い低い壁の存在が見えるからです。
ですがこれらは真理を知りさえすれば、本当の自由を得て解放されるとも導かれておられるのですが(ヨハネ福音書8章31~38行)。


~ファリサイ派の人々と律法学者たちが、イエスのもとへ来て言った。
「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。
 彼らは食事の前に手を洗いません。」
そこで、イエスはお答えになった。
「なぜ、あなた達も自分の言い伝え(宗教教義)の為に、神の掟を破るのですか。
 神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。
 それなのに、あなたたちは言っている。
『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物とする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。
 こうして、あなた達は、自分の言い伝え(個人的価値観)の為に神の言葉を無にしている。
 偽善者たちよ、イザヤはあなた達の事を見事に預言したものだ。
『この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。
 人間の戒めを教えとして教え、虚しく私をあがめている。』~」
(マタイ福音書15章1~9行)


聖霊も御霊も持たず、神の教えと人の教えの区別もつかない者が立ち上がると、歪みの悲劇が起きて自由のもとに意味の無い伝統が形成されて行きます。
宗教の先人の声は聞こえても、神の霊の声は聞こえないのですから、選択肢は常に人から出たものになるのは当然です。


イエスは言われた。
「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだ事がないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
 これは、主がなさった事で、私たちの目には不思議に見える』~」
(マタイ福音書21章42行)


残念ながら聖霊を受けていない者は、自身の現在のポテンシャルを疑ってかかり、慎重に決断すべきです。
人は善悪の知識の木の実の力を、その身に必ず宿しているのですから。
イエスの命のパン(命の木の実)に食べなおしましょう。
アーメン