20211102

神々の神、主は、御言葉を発し、日の出る所から日の入る所まで、地を呼び集められる。
麗しさの極みシオンから、神は顕現される。
私たちの神は来られる、黙してはおられない。
御前を火が焼き尽くして行き、御もとには嵐が吹き荒れている。


神は御自分の民を裁くために、上(玉座)から天に呼びかけ(御使い)、また、地に呼びかけられる(預言者)。
「私の前に集めよ、私の慈しみに生きる者を、いけにえを供えて私と契約を結んだ者を。」
天は神の正しい事を告げ知らせる。
神は御自ら裁きを行われる。


「私の民よ、聞け、私は語る。
 イスラエルよ、私はお前を告発する。
 私は神、私はお前の神。
 捧げ物についてお前を責めはしない。
 お前の焼き尽くす捧げ物は、常に私の前に置かれている。
 私はお前の家から雄牛を取らず、囲いの中から御山羊を取る事もしない。
 森の生き物は、すべて私の物、山々に群がる獣も、私の物。
 山々の鳥を私はすべて知っている。
 獣は私の野に、私のもとにいる。
 たとえ飢える事があろうとも、お前に言いはしない。
 世界とそこに満ちているものは、すべて私のものだ。
 私が雄牛の肉を食べ、御山羊の血を飲むとでも言うのか。
『告白を神へのいけにえとして捧げ、いと高き神に満願の捧げ物をせよ。
 それから私を呼ぶがよい。
 苦難の日、私はお前を救おう。
 その事によって、お前は私の栄光を輝かすであろう。』」


神は背く者に言われる。
「お前は私の掟を片端から唱え、私の契約を口にする。
 どういうつもりか。
 お前は私の諭しを憎み、私の言葉を捨てて顧みないではないか。
 盗人と見ればこれにくみし、姦淫のを行う者の仲間になる。
 悪事は口に親しみ、欺きが舌を御している。
 座しては兄弟をそしり、同じ母の子を中傷する。
 お前はこのような事をしている。
 私が黙していると思うのか。
 私をお前に似たものと見なすのか。
 罪状をお前の目の前に並べて、私はお前を責める。
 神を忘れる者よ、わきまえよ。
 さもなくば、私はお前を裂く。
 お前を救える者はいない。
『告白をいけにえとして捧げる人は、私を栄光に輝かすであろう。
 道を正すひとに、私は神の救いを示そう。』」
(詩篇50章)


神は宗教を御作りにはなりません。
人から出たものです。
福音にはクリスチャンも三位一体もありません。
十二使徒たちは、一度もキリスト教徒という言葉を使ったもありません。
御霊無しはこれを進化と呼ぶかも知れませんが、最後の使徒が失われて以降は、ただの腐食の始まりでしかありません。
神の七つの霊の報せを通じて、正されなければなりません。
アーメン