20211003

その頃、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知った事ではない、お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
『祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、相談の上、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にする事にした。』
この為、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
こうして、預言者エレミヤを通して言われていた事が実現した(エレミヤ書32章25行)。
(マタイ福音書27章3~10行)


イエスを処刑した神殿祭司ですら、汚れを主に近付けてはならないという、当たり前の信仰を持ち合わせていました。
盗んだ言葉の感動で感謝の祈りを捧げ、主を汚れに触れさせよう等という者たちは、この神殿祭司たちにすら信仰レベルが劣っています。
以前にこの警告も見事に退けられ、今回は公開開示で触れて他者の目を気にして受け入れるようなら、その心の奥底こそ主は御覧になられていると知るべきでしょう。
真の信仰心があるなら、盗みで第五教会に至るべきではない事に気付き、自ら退くべきです。
盗みのおかげを自らの歩みに入れてしまった者は、実行者を切り捨てて袂を別っても、実行者の手柄のようにその至りが成立するのですから、第五については退く対価を支払い、新しく他の六つの教会への再チャレンジに、正当に臨むべきです。


更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々と繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。
「退け、サタン。
『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
そこで、悪魔は離れ去った。
すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
(マタイ福音書4章8~11行)


ここに主とサタンのキャラクターの違いがあります。
サタンは独裁者のように振る舞い、近しい者にチヤホヤやヨイショを望み、本音を隠すタイコ持ちに囲まれたがります。
ですがイエスは御父に習い、スーパースターのような支持スタイルを望まれず、多くの言葉や無意味な長い祈りを退かれます。
独裁者の支持者のように慕い賛美しても、全く相手にされず遠ざけられるだけですから、福音を真に心にとめるべきです(マタイ福音書6章1~13行)。


私の愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。
良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。
御父には、移り変わりも、天体(太陽・月)の動きに連れて生じる陰もありません。
(ヤコブの手紙1章17行)


真理という言葉について検索すると、「本当のこと」、「間違いでない道理」、「いつどんな時にも変わる事のない正しい物事の道筋」など、不変を表す言葉として説明されます。
ですから真理に向き合う真理探究者も、鏡の如く写るに至り、御都合主義者とは対極の存在に向かいます。
世の理として、七変化を便利に真理とする御都合主義を、真理探究者に望む事は、最初から間違っています。
真理の如く頑なに護るからこそ、主から真理が知らされ預けられるのであって、サタンのように個人的な願望から好みに書き換えまくり七変化する者は、スタート地点にすら立てていません。
人という存在も、赤子から老人まで絶え間なく変化し続けるものであり、変化に進化や前進といった希望を持つ事も無理はありません。
ですがいずれは、光の信仰者は人間である事を失って、天使・聖霊となって御国へと入るのですからヤコブの開示の通りに、変わらない真理に至り、イエスのように御父に習うべきです。
アーメン