20210921

ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなに知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。
「私の教えは、自分の教えではなく、私をお遣わしになった方の教えである。
『この方の御心を行おうとする者は、私の教えが神から出たものか、私が勝手に話しているのか、分かるはずである。』
 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める(イザヤ書14章13、14行)。
 しかし、自分のお遣わしになった方の栄光を求める方は真実な方であり、その人には不義がない。~」
(ヨハネ福音書7章15~18行)


イエスは庶民の家系に生まれ、長男として家計を助ける労働に従事していたはずです。
ゆえに生まれ故郷では、学問をしていないのにと驚かれました。
ですが生誕前に、天の書記者として必然的に神からマンツーマンの指導を受けられてますから、巻物通りに話していると公表され、人間の教師の指導ではなく遣わした方の御心通りと開示されました。
人々は赤子からしか人間には歴史は無いと思い込んでますから、悪気なく難しいズレでもあります。


彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。
「それは初めから話しているではないか(御父の御子であると)。
 あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。
 しかし、私をお遣わしになった方(御父=神)は真実であり、私はその方から聞いた(書記した天の巻物)ことを、世に向かって話している。」
彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
そこで、イエスは言われた。
「あなた達は、人の子を上げた時に初めて、『私はある(ヤハウェ)』ということ、また、『私が、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられた通りに話している(巻物の朗読)』ことが分かるだろう。
 私をお遣わしになった方は、私と共にいてくださる(御父の御手)。
 私を一人にしてはおかれない。
 私は、いつもこの方の御心に適うことを行うからである(巻物通りに)。」
(ヨハネ福音書8章25~29行)


イエスは繰り返し御父が話されて、書記した巻物通りに話していると言われています。
生誕前の歴史がある者と無い者たちの間のギャップを、酷く感じられます。
遣わされた者と、遣わされた者を受け入れるか拒絶するかの人々との、立場の違いでもありますから、厳しい事実です。


サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。
『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。
「私はあなたの行いを知っている(ゼカリヤ書4章10行)。
 あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる(死と復活の預言の暗示・ヨハネ黙示録11章11行)。
 目を覚ませ。
 死にかけている残りの者たちを強めよ。
 私はあなたの行いが、私の神(御父・意図的な表現)の前に完全なものとは認めない。
『だから、どのように受け、また聞いたか(天で書記した時を)思い起こして、それを守り抜き(盗みの攻撃から)、かつ悔い改めよ。』
 もし、目を覚ましていないなら、私は盗人(対面の敵の正体のヒント)のように行くであろう。
 私がいつあなたの所に行くか、あなたには決して分からない(真理の書には記されていない)。~」』
(ヨハネ福音書3章1~3行)


宗教学校と宗教教師は必要ありません。
真理を地上版に最適化して歪めるだけですから。
必要な事は更なる祈り求めによって、時限式以外の記憶の引き出しの開封ですから。
アーメン