20210915

主の言葉が私に臨んだ。
「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。
 私がある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。
 彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。
 角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず、剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。
 彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。
 彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救い得たはずである。
 しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らの内から一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任を私は見張りの手に求める。
 人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。
 あなたが、私の口から言葉を聞いたなら、私の警告を彼らに伝えねばならない。
 私が悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死ななければならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任を私はお前の手に求める。
 しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。~」
(エゼキエル書33章1~9行)


エルサレムの城壁の見張りの天使(イザヤ書62章)や、ネブカドネツァルの夢に出た見張りの天使(ダニエル書4章10、14行)のように、人である預言者にも見張りの使命の者があります。
以前に触れたヨナもその一人であり、最初に逃げ出したまま、神の警告を知らずにニネベの町の人々がソドムの様に滅んでいたなら、ヨナは取り返しのつかない事をやらかしていた事が分かります。
ニネベの民は、イエスによって大きな祝福の確約を得ていますから(マタイ福音書12章41行)。


聞け、災いをダンから告げ、エフライムの山から知らせる声を。
(エレミヤ書4章15行)


第五の天使がラッパを吹いた。
すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。
この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が立ち上り、太陽も空も穴からの煙の為に暗くなった。
そして、煙の中から、イナゴの群れが地上へ出て来た。
このイナゴには、地に住むサソリが持っているような力が与えられた。
イナゴは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。
殺してはいけないが、五カ月の間、苦しめる事は許された。
イナゴが与える苦痛は、サソリが人を刺した時の苦痛のようであった。
この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬ事ができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。
(ヨハネ黙示録9章1~6行)


コロナの見えない脅威が続いています。
第五時間のテーマは見えざる脅威ではと思えてきており、イナゴへの準備警告時間だろうかとも感じます。


私はまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。
この天使は、大地と海とを損なう事を許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。
「我々が、神のしもべたちの額に刻印を押してしまうまでは、『大地も海も木も損なってはならない』。」
(ヨハネ黙示録7章2、3行)


生ける神の刻印を持つ天使は、大地も海も木も損なわないようにと言っていますが、これはイナゴが受けた地の草や青物や木も損なうなという命令と、同じものです。
八陽火は今を、御使いの神の刻印打ち時間と見ており、繰り返しのワクチン漬け期間になろうとしている点に、結論を出せない危惧を抱いています。
それは神の刻印に対して、汚れとなって退けられやしないかと。
明確な根拠を得ていないので、断定には至ってはいませんが、状況を観察して伺っている所です。
個人的には打っても清められると見ていますが、仕事柄ワクチン接種を急がれており、仕事を失う事を選択する時かとも迷わされています。
今が信仰の本番なら、追い詰められて然るべきですから。


御使いの見張りと人の見張りは違っています。
何年も前から、八陽火が福音を退け裁こうとしていると、訴え続けている者たちがありますが、この点で主に戒められた事はなく、的外れな訴えで鏡返しに合うでしょう。
不用意に放ち、主に訴える者が陥る後退であり、ヨブを非難した三人と同じですから。
アーメン