20210912

第二の獣は、獣の像に息を吹き込む事を許されて、獣の像がものを言う事さえ出切るにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買う事も、売る事も出来ないようになった。
この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
(ヨハネ黙示録13章15~17行)


闇の使徒は闇の価値観に基づき、偶像を造り拝ませます。
また現代ならではで、しゃべれるようにもしてきます。
ヨハネは未来の幻視に驚いたでしょうが、現代では誰も驚きもしない科学技術です。
偶像愛好者は、獣の像さえ拝まなければと解釈したがるでしょうが、ここには見えざる天と見える地の踏み絵があり、人を辞めて天使になるか、人である事を失わないで光の宇宙行きを拒否するかの、選択の一つとして成立します。


一昨年、中国国内で発見されたコロナの脅威は、まだ去ってはいません。
八陽火は仕事がら、多くの人たちがワクチン接種からか、マイナンバーカードの作成受取りを見ます。
手続きが早く済むプラス面があるみたいですが、終末の数字の支配にも懸念を持っています。
先のしゃべる偶像の実現だけでなく、現代ならその数字で売り買い出来なくする事も、難しくはありませんから。


「倒れた。
 大バビロンが倒れた。
 そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊(寝ずの番人)の巣窟、あらゆる汚れた鳥(闇の聖霊)の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣(闇の権威者)の巣窟となった。
 すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのブドウ酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらな事をし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって、富を築いたからである(エゼキエル書28章16行)。」
(ヨハネ黙示録18章2、3行)


ヨハネ黙示録やゼカリヤ書といった終末預言は、聖書に精通する者でも難しい知らせとなっています。
そのほとんどが、空間内の見えざる存在たちの動きに関する預言で、肉眼しかない人間には確認しようがなく、大バビロンに繋がった自覚すら持つ事も無いはずですから。


イエスはお答えになった。
「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりの事で、刈りいれる者は天使たちである。
 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそうなるのだ。
 人の子は天使たちを遣わし、つまづきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国(天使長の権限)から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。
 彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
 その時、正しい人々はその父の国(光の宇宙)で太陽のように輝く。
 耳のある者は聞きなさい。」
(マタイ福音書13章37~43行)


見えざる者たち主体で、その影響下にある人間が集まって預言は実現します。
善は善に、悪は悪に、自由意思による結果の自己責任です。
信仰は洗脳ではありませんし、そもそも肉の器に洗脳は効いても、魂に洗脳は効きませんから、宗教的な集合では神殿化は臨む事が出来ませんので。


弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々の事を心にかけていたからではない。
彼は盗人であって、金入れわ預かっていながら、その中身を誤魔化していたからである。
(ヨハネ福音書12章4~6行)


その弟子が、イエスの胸元に寄りかかったまま、「主よ、それは誰の事ですか」と言うと、イエスは、「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。
(ヨハネ福音書13章25~27行)


イエスの側にいても、闇の権威を失えない者は、毒麦化を避けられません。
最も注意しなければならないのが、自分では魂の育ちを確認できないという恐さです。
日常の中の、実感としては些細な小遣い稼ぎでも、毒麦化は免れず、ましてや御子の口から福音を聞いていては、神の秤の対価計上も一際大きくなって当たり前です。
善人も悪人も、人間である時は変わりなく人として映りますが、魂においてはハッキリと別な運動エネルギーとなります。
光は懐中電灯の灯りの様に直進するエネルギーで、それは正に生きる者の活動する姿ですが、闇は停滞し鈍化するエネルギーであり、それは動かない死体と変わりありません。
ゆえに魂が光の善人は光の宇宙に呼ばれ、魂が闇の悪人は火の池の中で永遠に停滞する死者(ヨハネ黙示録20章14行)として、未来が分岐するのです。。


ギャンブル、酒池肉林、血の滴る食べ物、謀略、これらの喜びこそ人間であるという者は、堕天した寝ずの番人たちに近付いています。
光の宇宙には刺激が無いのではと思う者も、福音に魅力を見い出しにくいでしょう。
ですから貧しく虐げられ、地上に拒否された者こそが相応しく、イエスも福音で「来なさい」と呼びかけられてるのですから。
アーメン