20210909

主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない、彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人の所へ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。
人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、『自分に合う助ける者は見つける事が出来なかった。』
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
(創世記2章18~22行)


主は男を助ける者として、女は造られたとあります。
これを女=聖霊と見ると、イエスの言葉の意味が良く分かります。


「~私は父にお願いしよう。
 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。
 この方は、真理の霊である。
 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れる事が出来ない。
 ~弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方にすべての事を教え、私が話した事をことごとく思い起こさせてくださる。~」
(ヨハネ福音書14章15~26行)


「~私が父のもとからあなた方に遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来る時、その方が私について証しをなさるはずである。~」
(ヨハネ福音書15章26行)


聖霊の働きは、神の道のサポートであり、助ける者です。
ここに人の女の霊に重ねた、神の報せがあります。
人の女はこの助ける者の象徴を、男に対して持っている事になります。


狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草を食み、その子らは共に伏し、獅子も牛も等しく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。
私の聖なる山においては、何者も害を加えず、滅ぼす事もない。
水が海を覆っているように、大地は知識で満たされる。
(イザヤ書11章6~9行)


イザヤ書11章のダビデの父エッサイの根として預言される、イエスの生誕と統治する世界の話です。
天の聖なる山で実現される、食物連鎖崩壊の預言です。
地上では獅子の家族は、一頭のオスライオンをボスに、複数のメスと自身の直系の子供だけでグループを構成しています。
狩りはほぼメスが担当し、オスは他のオスライオンなどの外敵担当で分担が見られます。
家族でも弱肉強食は存在し、メスが獲物を仕留めたのを見つけると、オスは横取りして一番飯にありつき、その次は子供で最後がメスになるようです。
それがイエスによって、崩壊すると預言は報せています。


私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。
~上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
(イザヤ書6章1、2行)


私が見ていると、ケルビムの頭上の大空の上に、サファイアの石のようで、形は王座に見えるようなものがあるではないか。
それはケルビムの上に見えた。
(エゼキエル書10章1行)


八陽火はセラフ(単数形)を、聖霊と御使い夫婦の聖霊主体の姿とし、ケルブ(単数形)を夫婦の御使い主体の姿と開示しています。
ゆえに玉座を運ぶ車輪のケルビム(複数形)は男の仕事を顕わしており、玉座の上すら飛べるセラフィム(複数形)は、聖霊の翼をもって空を顕わしています。
そしてその関係性は、今の暗い宇宙と光の宇宙にも当てはまります。
今の宇宙はオスの世界であり、ゆえに男に有利な弱肉強食のもとにあり、女は助ける者として造られました。
ですがイエスが最終的に導く光の宇宙はメスの世界であり、逆に男が助ける者に立場が変わります。
ゆえにイエスの福音は、男らしい戦士や騎士や武士の戦を否定しており、その慈悲が母性を思わせる包容力なのも、光の宇宙が今の宇宙の上位互換でメスだからです。
これが寝ずの番人たちにとって、最も許しがたく認められない価値観であり、堕天してでも地上を愛した理由でもあります。


当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。
これは、神の子らが人の娘たちの所に入って産ませた者であり、大昔の名高い(野蛮な暴力の中で)英雄たちであった。
(創世記6章4行)


寝ずの番人と御使いたちは、光の宇宙に行った事はなく、主の報せとしてしか知りません。
天の存在にも地上とは違う福音があり、天の書記者たる御使いの預言者たちが活動して報せて、本心が試されているからです。
イエスは預言通り生誕されましたが、一地域の三年半のみの活動でした。
これでは全世界の全時代の人々にとって平等ではありません。
ですがイエスの告白通り、福音は父から直接イエスだけが書記して聞いたもので、空間内の御使いや寝ずの番人たちにとっても、初耳の報せとしてもたらされました。
人の歴史だけを見ると、二千年かけて世界規模に広がる必要があったかのようですが、空間内においては御使いと寝ずの番人、及び光の聖霊と闇の聖霊たちの信仰が試される時間となりました。
空間内の司る者たちの、国や民族や町や人々を見ると、人の歴史が寝ずの番人たちや闇の聖霊たちの福音拒絶である事がわかります。
ゆえに今回の終末において、試し期間完了として闇の勢力は陰府に千年間封じられる決断を、主から受けます。


ルシフェルの管理領域内のアフガンを見ると、光の宇宙を拒絶して弱肉強食に固執する、男の帝王学?的な臭さを感じます。
勝者と敗者の世界、見下しと優越感の旨味、どれもルシフェルとラハブの行動原理であり失う気がない、福音拒絶です。
これに連ならない事を願い、八陽火は無償開示していますが、報せは渡された事だけが自由意思のもとで成立するだけなのも、仕方ない事です。
それもイエスの裁判においての準備でもありますから。
アーメン